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私ひとりの夏祭り

毎日、暑い日が続きますね。

昼でも夜でも、またどこに行っても暑い、まさに夏まっ盛りの今宵は、「涼」を求めてナイトランをすることにしました。

さ~て、どこに行こうか?

今夜は近所のお宮で夜祭りがあるようですが、そんな人が多いところに行く気分でもないし、どうしようかな~と思っていたところ、たまたま返却期日に達しているDVDがあったので、少し遠回りをしながらTSUTAYAへ行くことにしました。

今夜の私の気分は微妙なもので、「人出が多い夜祭りはパスだけど、暗いところはイヤ」なんて感じだったので、明るめの建築物がある裏通りをウロチョロしてみました。(←少し怪しい自転車乗りだったかも・・)

そこで見つけた風景がコレ。

この建物、ほどよいレトロ感があって昼に見てもいい雰囲気なのですが、夜はまた表情が違っていて、大人っぽく落ち着いた賑やかさがイイ感じ!!

知っている人は多いのだろうけど、この夜、自分の中で見つけたこの光景は、「私ひとりの夏祭り」といった風情で、華やかな時間を私に与えてくれました。

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ミニ・ポタ紀行 出雲・石見の分岐点「可部街道」を訪ねて ~広島市・可部~

ミニ・ポタ紀行 出雲と石見の分岐点「可部(かべ)街道」を訪ねて ~広島市・可部~


 広島市内を国道54号線に沿って北上すると、カーテンを吊したような特徴のある橋「太田川橋」が見えてきます。そして、橋を向こうに渡ると、今回の目的地である可部の町に到着です。

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 ここ広島市安佐北区(あさきたく)可部は、古くは出雲・石見街道(雲石路)が分岐する地域で、広島城下と両地域を行き来する人と物資が集まる宿場町、商業町として発展してきました。また、そばを流れる太田川の水運を利用した、陰陽物流の中継地としての役割も果たしていました。
 現在でも広島市北部の拠点としての機能を持ち、人口約15万人を擁する安佐北区の中心地として区役所をはじめとする官公署が多く立地しています。

(広島市安佐北区可部の地図)



1.JR可部駅

 ここはJR可部駅です。近年リニューアルした駅前ロータリーには、アーケードが巡らされており、まるで欧州の駅のようです。
 今回はこの駅に自転車を置き、徒歩にて町を散策します。

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2.浜の明神社(みょうじんじゃ)

 川舟の安全を祈念するために、厳島神社(いつくしまじんじゃ)の分霊をむかえて祀っている神社です。この神社で行われる大祭は通称「チンチロビッツ」とよばれ、地元の人々に親しまれているようです。拝殿の前にある大きな樽が印象的な神社でした。

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3.鉄灯籠(かなどうろう)(広島市指定重要有形文化財)

 江戸時代、この辺りは「船入堀」とよばれる川船の発着場であったそうで、「鉄灯籠」はここで常夜灯の役割を果たしていました。高さ313cmもある灯籠は、可部の鋳物(いもの)師が作成したもので、その秀逸な造形は、この地域が鋳物業の盛んな場所であったことを表す歴史的遺産といえます。

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4.街道沿いの町家

①中川醤油醸造元

 ここは可部駅のすぐ近くにある「中川醤油醸造元」です。趣のある可部の町並みの入り口に位置する商家です。

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 それでは「雲石路(可部街道)」をさらに奥へと進んでいきましょう。

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②増井醤油醸造場

 ここは「増井醤油醸造場」です。豊かな水と温暖な気候に恵まれた可部の町には、数件の醤油醸造場があります。

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 この土間の部分がいい味を出しています。 

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可笑屋(かわらや)

 「可笑屋」は、もとは「山繭(やままゆ)問屋」の建物であったものを改装したもので、古民家の再生・保存・活用が可部の町並み形成に貢献しているということで「ひろしま街づくりデザイン賞(街並み部門)」を受賞したそうです。 

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 建物は現在、喫茶とコミュニティーサロンとして利用されており、訪れる人々の情報交換の場となっています。

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 ちょうどのどが渇いてきたので、さっそくアイスコーヒーを飲むことにしました。

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 私が座った席からは、中庭を眺めることができました。

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 一方、この辺りの観光情報を得るため、コミュニティーサロンのほうへ行ってみました。すると、ボランティアの方が、近隣の観光地図をコピーしてくださっただけでなく、建物内を案内してくれました。

(中二階部分にある、印象的な丸窓から外を眺めたところ)
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 加えて町の産業の歴史について、丁寧に説明してもらえたので、とてもありがたかったです。

(雰囲気のある階段灯)
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 ここは「可笑屋」の裏通り、白壁の町屋が次々に並んでいる姿は圧巻です。  

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④三木邸

 「可笑屋」と同じく「ひろしま街づくりデザイン賞(街並み部門)」を受賞した民家の「三木邸」です。

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 なんと、郵便ポストまでもが古民家風・・。シャレが利いています!!

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⑤可部の折り目

 以前「津山」に訪れた時にもあった「折り目」がここにもありました。謂われは以下のように、いくつか説があるようですが、面白いのは③ですね。

①異敵の進入を困難にさせ、町の防衛をはかるため。
②かつて大火に見舞われた経験から、火事による延焼を防ぐため。
③当時は大名行列が横切るとき、民衆はその列が見えなくなるまで土下座をする必要があったが、折り目を作ることにより、その時間の短縮を図った。

 また、折り目地区一帯は、商工業都市「可部」の中心地であったようで、商売繁盛の神「胡神社(えびすじんじゃ)」が置かれています。

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 「胡神社」の脇には、なかなか趣のある台座がありました。側面には「可部蓄財銀行(かべちくざいぎんこう)」と書いてあります。
元々、これは日露戦争の凱旋記念碑として建てられたもので、その後火災時の警鐘台として利用されたようです。当然のことながら今は存在していませんが「可部蓄財銀行」というネーミングがレトロでいいですね。古き良き時代の地元銀行です。

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⑥シゲタ写真館

 1913年創業の「シゲタ写真館」です。日本の古民家とはまた違った表情を見せるレトロな洋館です。
アーチ状の入り口上部に見える「タゲシ」の文字が、なかなか「おちゃめ」です。 

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⑦休憩

 少し歩き疲れたので、ここで少し休憩しましょう・・。

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⑧永井邸

 この家の特徴は外壁の色で「藤色」というのでしょうか、上品な薄紫色をしています。この建物も町並みデザインに貢献が大きいということで「ひろしま街づくりデザイン賞(街並み部門)」を受賞しています。

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旭鳳(きょくほう)酒造

 ここは、慶応元年(1865年)創業の「旭鳳酒造(株)」です。建物は明治2年(1869年)創建だそうです。表に掲げる大看板と、奥に見える窓がたくさんある蔵が特徴的な建物です。

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5.可部集落の迷路道

 さて、概ね可部街道の北端に行きついたので、今度は駅のほうに戻ってゆきましょう。帰りは街道から一本中に入って、集落の間を迷路のように通る小さな路地道を歩いてみましょう。しかし、裏路地はホントに狭いです。しかも四方に張り巡らされているので、なかなか思った方向には辿りつきません。

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 裏路地の一部は「花の散歩道」と命名されており、地元の方によって花が植えられたプランターや手作り案内板などが置かれています。

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 路地の向こうにも、また細い路地が見えています。街道から一歩中に入ると、どこを歩いているのかわからなくなってしまいます。まぁ、それもまた非日常的で面白いのですが・・。

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 ここは「勝圓寺(しょうえんじ)」というお寺です。ここには「大えい和上」という僧侶の遺跡があります。

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 こちらは「品窮寺(ほんぐうじ)」というお寺の裏門です。「花の散歩道」を歩いていると、先の「勝圓寺」を含めて2つのお寺に立ち寄ることができます。ただ、何も考えず歩いていると「花の散歩道」から外れてしまい、迷ってしまうので注意が必要です・・。

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 情緒のある細い通りの先に「可愛神社(えのじんじゃ)」のお社が見えてきました。
「可愛神社」とは何とも愛らしい名前なのですが、その割には正面に立派な鳥居が構えています。
この鳥居は近年になって建てられたもののようですが、厳島神社の鳥居と同様式のもので格式が高そうです。

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 道に迷うと何度も書きましたが、「可愛神社」を過ぎたあたりで案の定迷ってしまいました。用心深く歩いていたのですが、本当に迷路みたいなんですよ。
 町の人に聞いたのですが、こういった迷路のような道は昔ながらの町割りの名残だそうで、広島市近郊では「宮島」と「可部」ぐらいにしか残っていないとのこと・・。この複雑な路地も、この町の特徴なのですね。


6.ひげ地蔵

 なんとも微笑ましいのが、この「ひげ地蔵」。口にひげをたくわえ、なかなかワイルドな面構え。お参りをするとき自分の身体の悪いところをなで、地蔵様の同じところをなでると、気持ちが安らぐそうで、別名「やすらぎ地蔵」とも呼ばれるみたいです。

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7.千代の松(広島市指定天然記念物)

 大正時代「可部八景」に選ばれたという名勝の松です。ちなみにその他の可部七景はどのような風景なのでしょうか?

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8.可部の産業の歴史と町家ギャラリー

 水運の中継地である可部の町には、古くから中国山地で採取された多くの砂鉄が入ってきたようです。
やがて集まった砂鉄は、この町で加工されるようになり、鋳物造りが盛んになりました。

(2階の真ん中あたりに見られる「小さな屋根」が可愛らしい古民家)
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 また、近隣の山間で取れる山繭から「天蚕糸(てんさんし)」を作る技術が発展し、広島を代表する「山繭織(やままゆおり)」の産地ともなりました。そのほかにも豊富な水を利用して酒や醤油、ラムネなどの製造も盛んであったようです。

※天蚕糸・山繭・・・詳細はこちら

(民家は町並みの景観に合わせて設計されている)
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 そしてそれらの生産物を太田川の水運を利用して、各地に流通させることで繁栄したといいます。可部の町には現在でも鋳物業から身を立てた企業が本拠を構えています。

(2階には火災による延焼を防ぐための家紋が入った「卯建(うだつ)」が見られる。これは可部の民家の特徴のひとつ。)
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9.太田川

 可部の町の発展を支えた太田川の流れです。訪れた時は雨量が多かったため、川はすごいことになっていました!!

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 出雲・石見街道(雲石路)は可部の町を抜けるとすぐに分岐し、出雲街道は吉田、三次を経て出雲大社へ、一方石見街道は千代田、大朝を経て石見銀山へ向かいます。逆に言うと、可部の町はこの2つのルートが集結する地点であり、地理的に言って、もともと発展する素地が備った場所であったように思いました。

前回の旅の記録はこちら → 水の都、平和都市、そして故郷「広島」探訪

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広島市の旅(3)「軍港宇品と元宇品公園」

2012ポタリングシリーズ(セカンドステージ1)
(3)水の都、平和都市、そして故郷「広島」探訪 ~広島市~

(この旅をはじめから表示する場合はこちら → はじめから表示


13.軍港「宇品(うじな)

 陸軍桟橋がある「宇品波止場公園」を出てすぐ、正面に見える広場の中に「陸軍運輸部・船舶司令部」の碑があります。戦時中、ここには「陸軍運輸部・船舶司令部」が設置され、日本陸軍の兵士や物資を輸送する一大拠点として機能していました。

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 向こう側にレンガ造りのモニュメントの様な構造物が見えてきました。少し見に行ってみましょう。

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 これは「広島陸軍糧秣支廠(りくぐんりょうまつししょう)倉庫」のモニュメントです。
糧秣(りょうまつ)」とは兵士の食料や軍馬の飼料などのことで、「陸軍糧秣支廠」はそれらの調達、補給のために設置されました。この建物は調達された物資を保管するための倉庫で、当時敷設されていた宇品駅のプラットフォームに沿った形で建てられていました。そのほかにも宇品には陸軍の「兵器支廠(ししょう)」や「被服支廠(ししょう)」が設置され、海外戦地への輸送拠点となっていました。なお倉庫は、大規模道路建設のため取り壊しになりましたが、被爆建物でもあり、歴史的な遺産でもあることから壁面の一部をモニュメントとして残すこととなったようです。ちなみにここから南東15kmに位置する、「戦艦大和(せんかんやまと)」で知られる「(くれ)」は海軍の港であり、これらを含めて多くの軍事施設が集中した広島は、まさに「軍都(ぐんと)」の様相を呈していました。

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そして、これがかつての倉庫の姿です。

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14.元宇品(もとうじな)公園

 それでは今回の目的地「元宇品」に向かいましょう。

 ここは「元宇品」にそびえたつ「広島グランドプリンスホテル」です。1994年開催の広島アジア大会に歩調を合わせるように開業した、広島市街地初のリゾートホテルで、目の前の海にはヨットハーバーがあります。開業時のイベントではゲストの加山雄三が颯爽とプライベートヨットでここに入港してきたことを思い出します。

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 それではホテルに自転車を停めて、自然保護区域の方へ歩いてみましょう。ホテルの裏側は山になっていますので、まずはここを登っていきます。

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 道を上ると駐車場があり、少し開けたところに出ます。ここには白い「宇品灯台」があります。この灯台は1950年(昭和25年)に新設されたもののようで、光源には1895年フランス製のレンズが使われているようです。かなりの歴史がある灯台ですが、今なお現役として瀬戸内海を行くフェリー、コンテナ船、自動車運搬船等を安全な航路に導く役割を果たしています。

(灯台遠景)
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 この辺り一体は「元宇品公園」として整備されている地区です。

(元宇品のシンボル「クスノキの大樹」)
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 そして、ここには山や海岸など自然を巡る遊歩道が整備されているので、しばし歩きながら「元宇品」についてお話ししてみましょう。

(山の遊歩道)
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 その昔、ここ「元宇品」は「宇品島」という島でした。

(海の遊歩道)
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 今は小さな橋で結ばれて、地続きというイメージしかありませんが、そこには市街地では数少なくなってしまった原生林や自然海岸が残されています。

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 同時に瀬戸内海国立公園の一部にも指定されており、自然とふれあうことのできる同地区は、市民の間で「向宇品(むこううじな)」と呼ばれ親しまれています。

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 これは自然が作った珍しい地形で「海食崖(かいしょくがい)」というようです。今から6000年ぐらい前、この辺りの潮位は現在よりも数メートル高い位置にあったそうです。そして、この崖は波の浸食により特殊な形になり、その後水位が下がったことで地上に現れたのだそうです。

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 海岸沿いの遊歩道を歩いていると、赤い灯台が見えてきました。フェリーターミナルから見えていた灯台の裏側に回ったのです。

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 幼い頃、父とよくここに船を見に来ていた私にとっては、とても思い入れがある灯台です。童謡にある「おもちゃの兵隊」を思わせる細みなスタイルと三角帽子・・。

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 対になっている白い灯台との間をフェリーが通過しています。私はかつて、この灯台付近を通る「水中翼船(すいちゅうよくせん)」をよく眺めていました。
 海の上に羽を広げたようにして、高速で水面を滑る船にあこがれたものです。残念ながらジェットフォイルが主流となった現在、国内に定期路線は存在しないようです。

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15.宇品橋

 それでは、そろそろ市街地に向けて戻ることとしましょう。帰りは、行きと違って新しく整備された大通りを使います。そして見えてきたのは「宇品橋」です。市街地のランドマークとなるような大きな橋です。

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 下を流れるのは京橋川で、上流で微かに見えるのは先ほど渡った「御幸橋(みゆきばし)」です。

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 2000年に完成した「宇品橋」が架かるのは京橋川の最下流です。川はこの橋を過ぎると、すぐに元安川と合流して瀬戸内海に注ぎます。

(手前の流れが「元安川」、橋の下には「京橋川」で橋の右側で両河川が合流している。)
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16.本川小学校と被爆手水鉢(ちょうずばち)

 ここは中区本川町にある本川小学校です。このあたりは爆心直下にきわめて近く、原爆の爆風によりすさまじい被害を受けた地域です。また戦後生まれではありますが、私も幼少の頃この辺りで生活をしていました。当時は、わずかではありますが、まだ戦争の傷跡のようなものが残っている時代であったように記憶しています。

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 この小学校の門には「被爆手水鉢」があります。これは被爆当時、産業奨励館(さんぎょうしょうれいかん)(現:原爆ドーム)のすぐそばにあったものだそうです。

※手水鉢・・・手や顔を洗うために、水をためるくぼみを施した石。

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 このグリーンが目に映える橋は「本川(ほんかわ)橋」です。名前の通り「本川」にかかる橋で、平和記念公園へのアクセス橋のひとつでもあります。

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17.ゴール 平和記念公園

①原爆資料館と噴水

 年始に行われる「都道府県対抗男子駅伝」にならい、ゴールは平和記念公園に設定しました。当然ではありますが、広島市民にとって思いの深い場所です。大きな噴水の向こうには丹下健三(たんげけんぞう)氏がデザインした「原爆資料館」が見えています。

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②原爆慰霊碑(いれいひ)

 同じく丹下氏がデザインした「原爆慰霊碑」。慰霊碑の下には被爆して亡くなられた方の名前が記帳された名簿が安置されています。名簿には、既に他界した私の祖父母の名も刻まれています。

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③平和大橋

 「平和大橋」は公園前を横切る「平和大通り」にかかる橋で、記念公園の東側を流れる「元安川」の上を跨いでいます。

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 欄干のデザインは日系アメリカ人彫刻家「イサム・ノグチ氏」によるものです。

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④西平和大橋

 こちらは「平和大橋」と対になる橋で、記念公園の西側を流れる「本川」に架かる「西平和大橋」です。デザインは同じく「イサム・ノグチ氏」です。

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(あとがき)

 今回、故郷「広島」初上陸ということで、市街地をポタリングしてみましたが、街のあちこちで被爆に関連するモニュメントや慰霊碑がみられるなど、戦後67年を経た今でもその爪痕はしっかりと残っていることを実感しました。ですがその反面、被爆者の高齢化は着実に進んでおり、歴史の証言者が少なくなってきているのも事実です。
 今回、このポタリングブログにおいて「原爆」を扱うことについて、果たして適切なのか否か、私なりにずいぶん悩みました。
しかし悲劇が起こった後でも、確実に時はながれてゆきます。それは原爆でも戦争でも自然災害でも然りです。そのような中で、私たちのような現在を生きている者が、被災者から聴いた体験談と自らの足で集めた情報とを総合した内容を、折りに触れて、いろいろなかたちで伝えていくことが必要なのではないか・・と思い至ったのです。
 今回、実際に街を訪ねてみて、幼い頃から祖父母や両親などから被爆体験を聴いて育った私ではありましたが、はじめて知る事実も多かったように思います。そして、そのように自分で見聞きしてきたものを微力ではありますが、ブログというかたちで伝えてみようと思い、思いきって筆を執った次第です。

前回の旅の記録はこちら → 「古代吉備国・神の山
(この旅をはじめから表示する場合はこちら → はじめから表示



☆今回のポタリングデータ

  日付:2012年7月15日
  距離:24.6km
  最高速度:32.9km/h
  平均速度:15.2km/h
  経過時間:2時間54分03秒
  消費カロリー:436kcal


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広島市の旅(2)「広島港・宇品へ」

2012ポタリングシリーズ(セカンドステージ1)
(2)水の都、平和都市、そして故郷「広島」探訪 ~広島市~

(この旅をはじめから表示する場合はこちら → はじめから表示


8.広島赤十字・原爆病院

 ここは中区千田町にある広島赤十字・原爆病院です。原爆投下時、この病院の建物は被爆しましたが、かろうじて診療機能を保っていたため、ここが市街地の医療拠点のひとつとなりました。

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 これは病院の表門にある被爆建物「旧本館」のモニュメントです。旧本館は平成4年(1992年)に病院改築に伴い取り壊されましたが、被爆の惨禍を後世に伝えるため建物の一部を移設し保存しています。

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 被爆建物の前に見えるコンクリート壁をアップで写してみました。写真に写る無数の傷跡は、原子爆弾による強烈な爆風によって飛び散った建物の窓ガラス片が壁面につくったものです。

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 今度は建物を別の角度で撮ってみました。すると爆風によって大きく湾曲した鉄製の窓枠を見ることができます。

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 ここにある赤十字は、旧本館の塔屋に掲げられていたものだそうです。赤十字病院は爆心地から約1.5kmの場所にありましたが、鉄筋コンクリート製であったため建物の外郭だけは残ったようです。そして、地下室にあったレントゲンフィルムが被爆によりすべて感光したことが発見されたことで、投下された爆弾が「原子爆弾」であることが立証されました。

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 病院前の大通りは、中央寄りのコンクリート部分と、それ以外のアスファルト部分で構成されています。これは昭和30年代に整備されたといわれるコンクリート道路が残っているためのようで、現在経年劣化の解消や景観への配慮のため、徐々に全面アスファルト舗装化を行っている最中のようです。これはこれで味があると思うのですが・・。
 それではこの通りを先に進んでいきましょう。

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9.路面電車基地

 ここは路面電車の運行を行っている広島電鉄本社(以下「広電本社」)です。敷地内には多くの車両が休憩をしています。
 さて、広島は言わずと知れた「路面電車王国」です。地下鉄路線がない街にあっては、最も身近な交通手段として市民に親しまれています。

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 これは広電本社に隣接する商業施設の敷地内に置かれているレストラン電車「トランヴェール・エクスプレス」です。広電の電車開業100周年記念事業の一環として路面電車を改装して、レストランにしたものですが、この景観はまるでヨーロッパのトランジットモールのようです。
 元々、この車両は西ドイツの工業都市ドルトムント市を走っていた路面電車を購入したもので、現役時代は宮島線や貸し切り電車として運行されていました。私自身も何度か街中を走る姿を見たことがありますが、とてもスマートな車両で、一度は乗ってみたいと思っていました。(残念ながら乗ったことはありませんが・・)
 ただ、1959年製造の外国車両ということで修理部品の調達など、保守整備にはずいぶん苦労したようです。

トランジットモール

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10.御幸橋(みゆきばし)

 これは京橋川にかかる「御幸橋」です。被爆時に倒壊を免れた「御幸橋」には、市街地中心部から南へ避難する被災者が殺到し惨禍を極めたそうです。

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 橋の西詰には当時の写真が掲示されています。

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 同じく橋のたもとにあった「タイムカプセル」です。1990年当時の広島の様子などを収め、開封は2040年だそうです。

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 橋の下を流れるのは、広島市内6つの川のひとつ「京橋川(きょうばしがわ)」です。

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11.宇品(うじな)

 さて「御幸橋」を渡り終えたので、今度は広島港のある宇品地区へ南下していきましょう。
「宇品」へは路面電車の軌道に沿って赴きます。私は路面電車の軌道敷がまっすぐ延びる、この風景が好きです。レトロな感じが郷愁を誘うのです。

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 宇品「海岸通」電停から、終点「広島港」に至る軌道敷は、写真のようなグリーンベルトになっています。これはヒートアイランド現象防止や周囲の景観への配慮によるもので、ヨーロッパの路面電車では、よく見る風景です。

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12. 広島港宇品旅客ターミナル

 ここは「広島港宇品旅客ターミナル」で、2003年に完成し共用が開始された新ターミナルビルです。

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 ここからは、海上自衛隊の学校がある「江田島」など県内島しょ部や愛媛県松山行きのフェリー及び高速艇が頻繁に発着しています。

(松山行きスーパージェット)
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 ターミナルは瀬戸内海上交通の拠点ともいえる施設なので、いろいろな色や形の船を見ることができ、とても楽しいところです。

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 ターミナルビルから港を眺めてみました。湾内の赤い灯台と白い灯台の間が港への入り口になっています。

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 また、構内には路面電車が乗り入れており、雨にぬれることなくフェリーから電車に乗り換えて市中心部へ移動することができます。瀬戸内の島しょ部から市内の勤務地や学校に通う人も結構いるようです。

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12.陸軍桟橋(六管(ろっかん)桟橋)

 日清・日露戦争を契機に旧陸軍の港として使用されてきた「宇品港」の中心的施設として建設された軍用桟橋です。

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 戦時中、多くの兵士は先に記載した「御幸橋」を渡り宇品へ到着すると、ここから戦場へ赴いたのです。しかし、戦地から無言の帰国をした無数の遺骨を迎え入れたのも、やはりこの桟橋だったのです。

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 戦後は「海上保安庁」の船舶を係留する施設として使用されたようですが、現在は宇品波止場公園の護岸として、それから歴史を語る証言者として、その使命を果たしつづけています。
 近年になって、波止場一帯にはショッピングモールが完成し、賑わいを創出しているようです。

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 これは「波止場公園」内にある「宇品線」のモニュメントです。「宇品線」は重要な兵站(へいたん)基地となった「宇品港」へ物資を大量に運ぶために建設された鉄道路線です。総延長は、広島駅から宇品間の約9kmで、着工からわずか17日間の突貫工事により完成しました。なお、これは日本最短の着工期間だそうです。戦後は市民の足としても活躍した宇品線ですが、モータリゼーションの進展などにより、昭和61年をもって廃線となったようです。
 私が訪れた時、レールはひっそりと夏草に包まれていました。

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 この派手な塔は「パラダイスの塔」です。1989年広島市西区商工センターをメイン会場に開催された「海と島の博覧会(市民通称:海島博(うみしまはく))」のモニュメントです。博覧会閉幕後に当地に移設保存されたようです。
 1989年当時は全国的に博覧会ブームで、この海島博もその流れに乗ったような感じではありましたが、現在でも市民の間では語り草になるくらいの大きな出来事でもありました。         (次回へつづく)

この旅の続きはこちら → 「(3)水の都、平和都市、そして故郷「広島」探訪
(この旅をはじめから表示する場合はこちら → はじめから表示

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(1)水の都、平和都市、そして故郷「広島」探訪 ~広島市~

2012ポタリングシリーズ(セカンドステージ1)
(1)水の都、平和都市、そして故郷「広島」探訪 ~広島市~


1.スタート JR横川駅

 今回の出発点は、JR山陽本線・可部(かべ)線が乗り入れる「横川(よこがわ)駅」です。

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 ここ横川駅の構内には、バスや路面電車が乗り入れており、JRと市内交通機関との乗り継ぎ駅として機能しています。

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 これは明治38年(1905年)2月5日、ここ横川に日本最初の乗合バスが誕生したことを記念して、駅構内に展示されている「レトロバス」のモニュメントです。
 日本で最初に生産された国産乗合バスは、エンジンこそは米国産であったものの、それ以外はすべて国産部品で作られたようです。そのためか、タイヤの生産が間に合わず、乗用車用のタイヤを使用して営業開始したとのことです。
 営業区間は横川~可部間の15kmで片道運賃24銭(馬車は15銭)、収容人員12人で運行されていました。しかしながら、当時の道路事情にバスの耐久性が間に合わず、わずか9カ月で営業を停止してしまったようです。
 このモニュメントは、そのチャレンジ精神をたたえるべく、当時の写真をもとに復元されました。
(現地案内板より)

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 それでは、駅前道路を南へ向けて走っていきましょう。

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2.横川界隈

 まもなく見えてきたのは「横川橋」です。

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 広島は1級河川「太田川(おおたがわ)」河口のデルタ地帯に形成された人口117万人の都市です。街の中には太田川の分流である6本の川が流れ、市内には多くの橋が架けられています。「横川橋」は6本の流れの一つ「天満川(てんまがわ)」に架かる白い橋です。

(天満川)
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 この橋は1983年に架け替えられたものですが、それ以前はこのようなアーチ橋で、幼い頃この辺りに住んでいた私は、部屋の窓から見える、ひと際目立つこのアーチ橋を眺めていたことを憶えています。

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3.本川沿い

 横川橋を過ぎて、「天満川」と別れて南下する「本川(ほんかわ)」沿いを進むと、見えてきたのは緑色の「空鞘橋(そらざやばし)」です。「空鞘」とは珍しい名前ですが、近くにある神社境内の松に「からの鞘」がかかっていたという故事に由来するようです。この橋を対岸に渡ると、広島城が見えてきます。

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 「空鞘橋」を過ぎると屋形船が見えてきました。また、対岸に見える大きな緑の屋根は、ワールドカップバレーやコンサートなどが行われる「広島グリーンアリーナ」です。1994年に開催された「広島アジア大会」にあわせて整備された総合体育施設です。

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 「本川」をさらに南下していくと、今度は「相生橋(あいおいばし)」が見えてきました。

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 「相生橋」は市内の中心部に架かる橋で、交通量もかなり多いです。また、平和記念公園に接しているので、向こう側には「原爆ドーム」が見えています。

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 それでは「相生橋」を渡り対岸へ行ってみましょう。その前に、橋上から川下を眺めてみました。

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4.原爆ドーム

 対岸に渡ると、目の前には世界遺産「原爆ドーム」がそびえたちます。原爆投下時は「広島県産業奨励館(さんぎょうしょうれいかん)」と呼ばれ、この辺りでひときわ大きくモダンな建物であったと祖母に聞いたことがあります。そして原爆投下によって現在の姿になったのですが、その人類が引き起こした悲劇の歴史から、現在では「負の世界遺産」と認識されています。

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 1945年8月6日午前8時15分、ドームの上空、約580メートルの地点で原子爆弾は炸裂しました。

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 原爆ドーム付近から「相生橋」を眺めるとT字形をしているのがよくわかります。この形状の橋は全国的にも珍しく、原子爆弾投下の目標となったともいわれているようです。
 毎年8月6日の原爆忌夕刻には、水を求めて川で亡くなった方のために、この辺りで「とうろう流し」が行われます。

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5.旧広島市民球場

 原爆ドームから道をはさんだ目の前に、「旧広島市民球場」があります。言わずと知れた「広島東洋カープ」の元本拠地ですが、「MAZDA Zoom-Zoom スタジアム」が完成し、その役目を終えたため現在は解体中です。しかし、これはまだここに残っていました!!
 カープ優勝の記念碑です。左が日本一のもので、3回の優勝の歴史が刻まれています。一方、右はセントラルリーグ優勝のもので、6回の歴史が刻まれています。今世紀になって、まだ優勝がないのでファンとしては「もうそろそろ」と思っているのですが・・。

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 これは鉄人「衣笠祥雄(きぬがささちお)」の連続試合出場世界記録達成を記念するレリーフです。学生のころは、その凄さがわからなかったのですが、社会人となって久しい今になって思えば、休むことなく仕事をするなんて凄過ぎます・・。

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6.鯉城通りを南へ

 広島市の中心地である「紙屋町(かみやちょう)」から「鯉城(りじょう)通り」を南下していきましょう。

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 ここは「鯉城通り」を東西に横切る「平和大通り」です。通称100m道路と呼ばれる幅の広い道路で、1月には「都道府県対抗男子駅伝」、ゴールデンウィークには「フラワーフェスティバル」で賑わいます。

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7.鷹野橋

 そして辿りついたのは「鷹野橋(たかのばし)」です。

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 この辺りは江戸時代、広島藩主の鷹狩場であったようです。その頃はこの場所に橋があり「鷹の橋」とよばれていたようで、いまでもそれが地名として残っているのだそうです。

(橋のモニュメント)
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 これは「バタバタ石」です。「婆多婆多(バタバタ)」は江戸時代、この界隈に出現していた、バタバタとムシロを叩くような音をたてる正体不明の妖怪だそうです。一説では、小さな石に宿る妖精なのだとか・・。

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 鷹野橋にはアーケード街があり、いろいろな店が軒を並べています。そこで、しばしソフトクリームを食べて休憩します。

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 再び動きはじめて、商店街を向こう側に抜けてみると、そこには「元安川」に架かる真っ白な「明治橋」がありました。
 私は高校までを広島で生活したのですが、郊外に暮らしていたのであまり市街地をウロウロすることはありませんでした。しかし今、あらためて自転車で街中を移動してみると、確かに川と橋の多いことを実感するのでした。

この旅の続きはこちら → 「(2)水の都、平和都市、そして故郷「広島」探訪

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ネコ殿

「おい、大丈夫か!!」と言いたくなるような綱渡りをするネコ殿・・。

ネコ殿4


そんな私に「ほっとけ!!」と言わんばかりに何かを叫びます・・。

ネコ殿3


数時間後、そのようなやりとりをすっかり忘れ、眠たそうに路上で丸くなっている彼でした・・・。

ネコ殿2


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ポタ麿・旅のトビラ(ファーストステージ・総決算)

ポタ麿・旅のトビラ(ファーストステージ・総決算)

 2月に自転車デビューをして、なんとかポタリングシリーズ(ファーストステージ)の日程を終了することができました。
天候の関係から1回だけ中止になった旅もありましたが、なんといってもケガなく終了できたことが一番でした。 また県の内外を含めて、いろいろな場所に行き、それらの場所の隅々までを見てまわれたことが、自分にとってとても良い経験になったと思っています。このままでは、ますます自転車にはまってしまいそうな感じです。
 というようなことで、スケジュールが一区切りしたところで、ここまでの旅を一覧にまとめてみましたので、よろしければポタ麿の思い出にお付き合いいただければ幸いです。



1.プレシーズンポタ・リンク集

(1)旭川北上・JR津山線沿線ポタリング ~岡山市・御津~ (2月11日)
   短評:記念すべきカメラ装備の「現在型ポタリング」第一弾。
   
   記事はこちら


(2)島四国八十八ヶ所巡礼1 ~香川県・小豆島~ (2月25日)
   短評:小豆島巡礼シリーズ第一弾。フェリーによる初輪行!!

   記事はこちら
   

(3)岡山東部地区ポタリング ~岡山市・瀬戸町~(3月3日)
   短評:旧山陽道走行の記録

   記事はこちら

(4)岡山臨港鉄道廃線跡と児島湾締切堤防探訪ポタリング ~岡山市・岡南地区~(3月18日)
   短評:岡山臨港鉄道の廃線跡と壮大なスケールを誇る児島湾締切堤防の探訪記

   記事はこちら


(5)吉備路自転車道往復ポタリング ~岡山県・総社市~ (3月25日)
   短評:春の吉備路で「まほろばタイムトリップ!!」

   記事はこちら



2.2012ポタリングシリーズ(ファーストステージ)・リンク集

(1)備前福岡探訪ポタリング ~岡山県・瀬戸内市~ (4月7日)
   短評:河畔の町は「歴史の玉手箱」。そこは時代を揺るがした男達ゆかりの郷だった。

   記事はこちら


(2)両宮山古墳・山陽団地探訪 ~岡山県・赤磐市~(4月21日)
   短評:市街地近郊の巨墳を探訪!!

   記事はこちら


(3)津山・柵原・備前 片鉄ロマン街道を走る ~津山市・柵原・備前市~(4月30日)
   短評:岡山県内の山間部を縦断するファーストステージのメインイベント。

   記事はこちら


(4)島四国八十八カ所巡礼2 ~香川県・小豆島~(5月19日)
   短評:小豆島巡礼シリーズ第二弾(春の小豆島編)

   記事はこちら


(5)鳥人幸吉のふる里探訪ポタリング~玉野市・八浜~(6月2日)
   短評:岡山が生んだ鳥人「櫻屋幸吉」に出逢う旅。

   記事はこちら


(6)ゲゲゲの町へポタリング ~鳥取県・境港市~(6月5日)
   短評:ポタ麿の鳥取県初上陸は、妖怪とのコラボレーション企画!!

   記事はこちら


(7)岡山の水郷を訪ねて ~岡山市・庭瀬~(6月23日)
   短評:これが岡山の「アクアポリス」だ!!

   記事はこちら



3.ミニポタ紀行・リンク集

(1)市街地近郊の里山風景を求めて1(大多羅寄宮跡) ~岡山市・大多羅~(4月1日)
   短評:「安・近・短」を実践する、近場志向のミニ・ポタ第一弾!!

   記事はこちら


(2)市街地近郊の里山風景を求めて2(太戸の滝) ~岡山市・牟佐~(4月28日)
   短評:ゴールデンウィークに「日本の涼」を求めての滝巡り!!

   記事はこちら


(3)犬飼木堂の生家を訪ねて ~岡山市・庭瀬~(5月26日)
   短評:岡山の偉人「犬飼毅(木堂)」に出逢う旅。名言「話せばわかる!!」

   記事はこちら


(4)商都の街並み探訪ポタリング ~鳥取県・米子市~(6月6日)
   短評:「山陰の大坂」とよばれた商人の街「米子」を味わいつくす!!

   記事はこちら


(5)古代吉備国・神の山 ~岡山市・吉備の中山~(7月1日)
   短評:古代吉備国の神々が宿るという神秘の山を散策する。

   記事はこちら


(編集後記)

 「サイクリスト生活1年目のルーキー」が、生意気にも総決算ということでリンク集みたいなものを作成してしまいました。しかしながら、見返してみると素人色満載の旅の記録になってしまった感は否めません・・。
そこで心機一転、7月からは「セカンドステージ」と題して、もう一歩踏み込んだ自転車旅をこなしていくつもりです。
 といいながらも、ポタリング専業の私ですので、無理して肩肘をはらない「ポタ麿・魂」でもって、「のらりくらり」と旅を続けていきたいと思います。


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ミニ・ポタ紀行 「古代吉備国・神の山 ~岡山市・吉備の中山~」

ミニ・ポタ紀行
古代吉備国(きびこく)・神の山 ~岡山市・吉備の中山~


 前日から降り続いた雨が、昼過ぎになって突如としてあがり、晴れ間さえのぞきはじめた日曜日、岡山市の西にある「吉備の中山」へ、のんびりとポタリングに行ってきました。

 
1.入山

 ここは「吉備の中山」のふもとにある町「花尻(はなじり)」(岡山市北区)。前回「吉備の中山」を散策した時は、吉備路自転車道の方からアプローチしましたが、今回はこちらから山に登っていきます。

①道中2


 見どころの多い「吉備の中山」ですが、今回目指すのは「御陵(ごりょう)(「中山茶臼山古墳(なかやまちゃうすやまこふん))」です。

①道中3


 道が登り坂になってきました。午前中は大雨でしたが、この時間(14時頃)になると、空から太陽の光が降り注いでいます。

①道中


 この道路は山の上にある「黒住教(くろずみきょう)本部」の参道でもあるので、とてもきれいに樹木が刈りそろえられています。

①道中4


1.吉備の中山

 古代、ここ岡山地方にあった「吉備国(きびのくに)」は、現在の広島県東部、岡山県全域、香川県島しょ部及び兵庫県西部に至るまでを支配し、大和(やまと)の国にも対抗しうる大きな力を持っていたと言われています。
 この国において「吉備の中山」は、多くの古墳や祭事を行ったと見られる場所が多いことから、神の宿る神聖な場所として、また国家の中心地として重要な位置づけであったと思われます。
 加えて「古今集」、「新古今集」、「枕草子」などにも名前が登場することから、中央国家においてもよく知られた場所だったようです。


①黒住教本部

 ここは、全国に30万人の信徒をかかえる「黒住教」の本部です。

②黒住教本部2


 初詣や大祭などでは、信徒のみならず一般市民も多く参拝に訪れるようです。

②黒住教本部


②西国三十三観音像

 黒住教本部を過ぎると「八徳寺(はっとくじ)」への参道入り口が見えてきました。

③三十三観音


 ここからは本格的な散策道になります。

③三十三観音2


 しばらく歩くと、道の脇に赤い前掛けをした観音様が見えてきました。「御陵(ごりょう)」と「八徳寺(はっとくじ)」へ続く参道にお祀りされている「西国三十三観音像」です。

③三十三観音5


 三十三体あるのは、観音様が三十三の姿に身を変えて現れ、人々を救うと「観音経」に書かれていることに由来するようで、観音霊場が三十三ヶ所あるのも、同様のことだそうです。

③三十三観音9


 いろいろな表情を浮かべた観音様のお顔を見ていると、なんだか心がなごんでいくのを感じます。

③三十三観音7


 このように、観音様は姿形を変えながら、人の進むべき道を差し示してくれるのですね。

③三十三観音4

※ポタリング速報では「お地蔵様」と記載しておりましたが、実際は「観音様」でしたので、ここに訂正いたします。


八徳寺(はっとくじ)

 ここ「八徳寺」は、地元の人々によって大事にお祀りをされている社です。

④八徳寺


 今は小さなお社ですが、山岳仏教が盛んな平安時代には、大きなお寺の金堂があった場所と考えられているそうです。(当地案内板より抜粋)

④八徳寺2


 社の屋根から下がるのは提灯といえばいいのでしょうか?
八徳寺の「八」という寺を模したようなデザインがなかなかGOODでした!!

④八徳寺3


 お堂の隣には立派な石塔も建っていました。

④八徳寺5


 それではお寺を通過し、山の奥へ通じる道を先へとすすんでいきましょう。

⑨吉備の中山

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吉備櫻(きびざくら)

 山の環境保全などに尽力されている「吉備の中山を守る会」の方が名付けられた「ヤマザクラ」の大樹です。会の方が、この木を見つけられた時は、周辺に雑草が生い茂りカズラが幾重にも樹木に巻きついて太陽光を遮っていたため、枯死しかねないような状態であったそうです。

⑤吉備櫻


 しかし、樹木周辺の環境整備を行うことで、太陽の光が差し込むようになったため、少しずつ元気を取り戻してきたとのこと。
 サクラの時期、山の中腹あたりで新緑に対するアクセントのようにピンクの花を咲かせている「ヤマザクラ」をみることがあります。昔から一度、近くで眺めてみたいと思っていたのですが、来年ここに観にくればよいのですね!

⑤吉備櫻2


 さあ、ひきつづき緑のトンネルを散策しながら、次の見どころを目指していきましょう!!

⑨吉備の中山2


環状石離(かんじょうせきり)

 自然石を人為的に環状に配列したもので、縄文時代の祭事と関連があるものと考えられているようです。さしずめ「日本のストーンヘンジ」というところでしょうか?!

⑦環状石離


⑥お休み岩

 民間信仰で「山の神」は、春には里に下り「田の神」となって五穀豊穣(ごこくほうじょう)を見守り、秋の収穫が終わると山に帰り「山の神」となると考えられているようです。この「お休み岩」に関する言い伝えは残っていないようですが、「山の神」が赴任中に休憩をとる場所・・と思えるような岩なので、そう名づけられたようです。
(現地案内板より抜粋) 

 この苔むした大きな岩に「トトロ」のような神様が座っていたら・・。なんて思うと夢がふくらみますね!! 

⑧お休み岩


御陵(ごりょう)中山茶臼山古墳(なかやまちゃうすやまこふん)

 さあ、それでは本日の目的地「御陵」へ向かいましょう。

⑩御陵7

 
 案内板を過ぎてすこし行くと、視線の先に何かが見えてきました。

⑩御陵8


 「御陵」です。

⑩御陵6

 御陵(中山茶臼山古墳)は、大和の国が地方平定のため山陽道に派遣した「吉備津彦命(きびつひこのみこと)」の墓といわれています。「吉備津彦命」は「桃太郎」のモデルとされ、吉備地方に巣くっていた「温羅(うら)」という鬼を退治し、平和をもたらした神様として知られています。 

⑩御陵5


 現在は宮内庁が管理しており、残念ながら中には入れませんが、

⑩御陵


 全長120mの大きな前方後円墳のようです。

⑩御陵4


 言われてみれば、土壌がこんもりとしていて古墳っぽいですね。

⑩御陵9

 
 しかし、四方はしっかりと有刺鉄線で囲われていました・・。

⑩御陵2


 吉備国は大和朝廷の中央集権体制に組み入れられた後、「備前(びぜん)」「備中(びっちゅう)」「備後(びんご)」「美作(みまさか)」の4国に分国されます。
 なお余談ですが、4国それぞれにある一宮(いちのみや)に祀られているのはすべて「吉備津彦命」のようで、この地方における人気は絶大だったことがうかがえます。

※各国一宮 備前「吉備津彦神社」 備中「吉備津神社」 備後「吉備津神社」 美作「中山神社」 


⑧穴観音

「御陵」を囲う有刺鉄線の向こうになにかがあるようです。

⑥穴観音2

 
 どうも、ここだけは入っていけるよう・・、それでは中へ行ってみましょう。

⑥穴観音3


 これは「穴観音様」だそうです。中央にある自然石の正面には観音像が彫られており、側面の穴に耳を当てると観音様の声が聞こえると伝えられています。私も側面の穴に耳をすませてみました。すると・・・。

⑥穴観音


2.下山

 雨上がりで下がぬかるんでいたり、途中道に迷ったりと、結局7:3ぐらいの割合でポタリングよりも山歩きが多くなってしまいましたが、今回は歴史散策を十分に堪能できました!!
 そして、下山途中の私を見送ってくれた観音様のお顔は「また来いよ~!!」と言ってくれているような、そんな表情なのでした。

P7010608.jpg


 「吉備の中山」は、まだ見ぬ古代の遺跡がたくさん眠っている「神秘の山」です。ですから、またここに訪れて歴史散策の続きを楽しもう!!と思いながら家路についたのでした。

前回の旅はこちら → 「岡山の水郷を訪ねて

関連記事はこちら → 「吉備路自転車道往復ポタリング

③三十三観音10

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ポタ麿ブログへようこそ
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てサイクリストが、日本全国を独自

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プロフィール

ポタ麿

Author:ポタ麿
性別:男
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星座:しし座
趣味:野球・自転車
生息地:岡山
(ブログ内容)
自転車による「ぶらり旅」の
レポートを中心としながらも、
日頃のとりとめのない事象に
ついてもつぶやいていきます。

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