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(後編)岡山の水郷を訪ねて ~岡山市・庭瀬~

2012ポタリングシリーズ(ファーストステージ7)
(後編)岡山の水郷を訪ねて ~岡山市・庭瀬~

(この旅をはじめから表示する場合はこちら → はじめから表示


5.庭瀬城

 「庭瀬城」は、戦国時代に備中の雄「三村家親(みむらいえちか)」が備前の「宇喜多直家(うきたなおいえ)」の侵攻に備えて築いたのがはじまりとされています。その後、血で血を洗う「備中兵乱(びっちゅうひょうらん)」で三村氏が滅亡し、主のいない時期などもありましたが、江戸時代となり「関ヶ原の戦い」で軍功のあった「戸川達安(とがわみちやす)」が城主として入城しました。このとき、城の二の丸を陣屋に改修したのが現在の庭瀬城のようです。
その後庭瀬城(庭瀬陣屋)は、明治維新をむかえるまで庭瀬藩庁として機能することとなります。
 
※備中兵乱・・・毛利・宇喜多連合軍×三村氏(織田信長が後ろ盾)による備中国の覇権争いで、この地方を震撼させるほどの大激戦であった。

(庭瀬城跡)
⑦庭瀬城

(庭瀬城址内にある弁天社)
⑦庭瀬城2

(庭瀬城址内にある清山(すがやま)神社)
⑦庭瀬城3


6.大賀ハス

 岡山市出身の大賀一郎博士が、千葉県検見川の古代遺跡で発掘した2000年以上前のものと推定されるハスの実を発芽させたもので、博士の名をとって「大賀ハス」と名付けられたようです。
庭瀬城の濠に植えられたハスは、地域の人々が博士のふるさとに「大賀ハス」の花を咲かせたいという想いが結実したものです。
 なお、現在「大賀ハス」は千葉市の花に制定されているそうです。

⑦庭瀬城4


7.撫川(なつかわ)

 戸川家治世の庭瀬藩は庭瀬地区と撫川地区からなっていました。そして、同じく庭瀬城も両地区にまたがる大きな城郭であったそうです。しかし、戸川家は4代安風(やすかぜ)の時、世継ぎが途絶えたため改易となってしまいます。僅かながらも弟の達富(みちとみ)が撫川領分を継ぎ、それにあわせて庭瀬城の撫川領にかかる敷地の割譲を受け、そこに知行所を構えたのが現在の「撫川城」です。なお、知行所を設けたあたりは、戦国時代の庭瀬城本丸があったところだと伝えられています。

(撫川城の濠)
⑥撫川城

(撫川城の濠に浮かぶ小舟)
⑥撫川城3


 これは旧撫川知行所総門で、岡山県の史跡に指定されています。

(旧撫川知行所総門)
⑥撫川城4


(撫川城址公園内にある三神社)
⑥撫川城6


(三神社の手水舎(ちょうずや)と石灯籠)
⑥撫川城5


8.不変院(ふへんいん)

 ここは戸川家の菩提寺、日蓮宗の「不変院」です。入り口がとてもきれいに整備されています。

④不変院2


 こちらが本堂です。

④不変院


9.庭瀬町あるきⅡ

道標(どうひょう)

 これは香川県の「金毘羅(こんぴら)参り」をする旅人のために設置された道標です。「金毘羅参り」は江戸時代に全国的な広がりを見せ、多くの旅人が参詣(さんけい)に訪れたようで、このような道標は旧山陽道など主要な街道で見ることができます。当時は金毘羅参りとあわせて、倉敷市児島の「瑜伽大権現(ゆがだいごんげん)」、「吉備津神社」、「最上(さいじょう)稲荷」を参詣する人も多く、これらの旅人は周遊性のある庭瀬往来を通ることが多かったようです。

④道標


三玉宮(みたまぐう)

 田んぼの真ん中にポツンと建つ(ほこら)が「三玉宮」です。このお宮には次のような言い伝えが残っています。

 そのむかし、この地域で戦が起ったときのこと。
闘いのさなかで、一人の武士が腰を痛めてこの場所で休んでいました。すると、背後から追討の兵があらわれ、武士は討ちとられてしまいます。息を引き取る間際、その武士は「後世まで祀ってもらえば、以後腰の病に霊験を与える」と言い残したので、地域の人々はこの言葉にしたがい、ここに祀ったそうです。

④三宝宮2


 それ以降、腰痛に霊験あらたかな「腰折様」として、多くの人々から信仰の対象になっているようです。

④三宝宮

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④木門跡

 城下には、夜間や緊急時に町の治安を守るため、数ヶ所の番所とともに木門が設けてあったそうです。

④門


高札場跡(こうさつばあと)

 江戸時代、幕府や藩が出した禁令(法律)を庶民に周知するために、人が集まりやすいところに掲げた掲示板が高札だそうです。ちょうど、以下の写真のように掲示札が立ったのではないでしょうか。 

④文書立て


⑥休憩所

 町のところどころに観光用の休憩所が設けてあり、見どころや、その由緒などが書かれた案内板が設置されています。

④休憩所


⑦旧撫川大橋の「常夜灯」と「親柱(おやばしら)

 旧撫川大橋は、町の西側を流れる「足守川(あしもりがわ)」に架かっていた橋で、地元では「大橋」と呼ばれて親しまれていました。昭和四十三年「大橋」は南側へ架け替えられましたが、かつての大橋の「常夜灯」と「親柱」は、ここ大橋中之町公民館へ移設保存され、往時の景観を再現することとなったようです。

④大橋2


 ここで、足守川の土手に出てみました。昔の大橋の基礎石がしっかりと残っています。

④大橋


撫川(なつかわ)うちわ

 「撫川うちわ」は、江戸時代中頃、庭瀬藩や撫川知行所の武士たちの内職として作られたのが始まりだそうです。やや大ぶりな扇面に優雅な図柄を透かし映すところに特徴があり、その伝統技法に則って現在も作成されているそうです。
 ここ庭瀬・撫川界隈は、伝統的な「撫川うちわ」の制作技術の保存に努めているのです。
(現地案内板より抜粋)

④撫川うちわ


⑨法万寺川

 江戸時代の「法万寺川」は、庭瀬城の外濠として、また水運を担う水路としての役割を持っていました。水路の中で規模の大きな「法万寺川」は、現在でも農業用水や洪水の調整河川として、風景にとけ込みながら現役として機能しています。

④法万寺川

⑩太鼓橋

 歴史ある石造りの太鼓橋

④たいこ橋


10.庭瀬町並みギャラリー

 蔵のある古民家。

③町並みギャラリー


 庭の緑と町家のコントラストが美しい。

③町並みギャラリー2


 理容院として、いまだに現役の建物。

③町並みギャラリー3


 立派な「むしこ窓」が印象的な「たばこ屋」さん。

③町並みギャラリー4


 玄関にかかる「染め織物」に風情を感じます。

③町並みギャラリー5


 水路脇の柳越しに町並みを眺めてみました。

③町並みギャラリー6


(あとがき)

 今回のポタリング、実はいままでのなかで最も移動距離が短かったのですが、現地でずいぶん歩いたため、結構ハードな旅となりました。とはいえ、現地でかなり歩いたということは、見どころも多かったということです。
なかでも、町中のいたる所に水路がはしる水郷の風景は、私自身いままで目にしたことがなく、その情緒的な景色に心惹かれるものがありました。それから、巨城ではないものの、住宅地の中に忽然(こつぜん)と姿を現す城郭の石垣や満面と水をたたえる濠の威容は、あたかもそこだけが時空を飛び越えた空間であるかのように私には映りました。

 岡山市中心部から西へわずか10km弱、郊外の住宅地に「岡山の水郷」は存在したのです。

前回の旅の記録はこちら → 「商都米子の街並み探訪」)
(この旅をはじめから表示する場合はこちら → はじめから表示


☆散策マップ

地図




☆今回のポタリングデータ

  日付:2012年6月23日
  距離:13.3km
  最高速度:30.3km/h
  平均速度:17.1km/h
  経過時間:1時間05分39秒
  消費カロリー:192kcal

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(前編)岡山の水郷を訪ねて ~岡山市・庭瀬~

2012ポタリングシリーズ(ファーストステージ7)
岡山の水郷を訪ねて ~庭瀬(岡山市)~

 今回は梅雨の晴れ間を利用し、岡山市の西「庭瀬(にわせ)」の町へ訪れてきました。

1.スタート 岡山市役所

 スタートは、庭瀬へアクセスの良い「岡山市役所」です。

①岡山市役所


市役所前の大通りを西へむけて進みます。

①岡山市役所4


 すると、道中右手に巨大な建築物が・・。

①岡山市役所2


 「岡山ドーム」です。ドーム内は、人工芝を敷き詰めた全天候型のグランドになっており、野球やサッカー等を楽しむことができます。

①岡山市役所3


 市役所から走ること30分前後、JR庭瀬駅に到着しました。今回はここを起点に徒歩で移動します。

②庭瀬駅


 町の散策は、この「道しるべ」に沿って行います。

②庭瀬駅3


2.庭瀬
 
 ここ庭瀬は、江戸時代庭瀬藩の城下町として発展してきました。
庭瀬藩は関ヶ原の合戦で軍功があった戸川達安(とがわみちやす)が29,200石で立藩したのが始まりで、小藩ではあったものの街道沿いの町として、また足守川を利用した水運の拠点として、発展的な町割りが進んでいったと思われます。
 加えて、五・一五事件で凶弾に倒れた「犬養毅(木堂(ぼくどう))」が誕生した地でもあります。

②庭瀬駅4


 駅から歩き始めて約5分、町の入り口にさしかかりました。

②庭瀬駅2


3.庭瀬・町あるき

①川野屋商店

 ここは醤油や味噌などを扱っている「川野屋商店」さんです。庭瀬の古い町並みを代表する建物です。

④-1川野屋商店3


 商店前の通りは、江戸時代「鴨方(かもがた)(庭瀬)往来」と呼ばれ、岡山藩が西の支藩「鴨方藩」との連絡のために整備した官道で、東から「岡山藩」、「庭瀬藩」、「天領・倉敷」、「備中最大の港町・玉島」、「鴨方藩」を結ぶ東西陸上交通の大動脈でした。そのため、街道沿いは大いに発展したようです。

※鴨方・・・現在の岡山県浅口市
④-1川野屋商店


 それにしても、たくさんかけられている看板がユニーク。特に「でんがくみそ」がお気に入りです!!

④-1川野屋商店4

 
 これは、上の写真の建物から、やや離れたところにある別棟です。

④-1川野屋商店5


②薬屋

 ここも同じく街道沿いにある建物の「薬屋」さんです。

④-1薬屋3


 「薬」の看板が目を引く、なんとも微笑ましい建物です。

④-1薬屋


 店のショーウィンドーの中には、レトロなものがいろいろありました!!

④-1薬屋2

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③旧庭瀬港

 庭瀬港は江戸時代から昭和初期まで、内陸の港として栄えた場所です。

④-1庭瀬港


 当時、瀬戸内海を航行する大型船に運ばれてきた荷物は、町のほとりを流れる「足守(あしもり)川」の河岸で小さな船に積み替えられた後、庭瀬港に入港していたようです。

④-1庭瀬港4


 また、ここは藩の年貢の積出港としての役割も持っており、物資の集散の拠点として、荷の積みおろしのための「雁木(がんぎ)」や大型の常夜灯(じょうやとう)などが整備されていたようです。

(雁木と天秤石)
④-1庭瀬港3


 江戸時代はともかく、現在の庭瀬は海まで距離があり、岡山市郊外の住宅地といった場所なので、このようなところに港があるなど思ってもいませんでした。
それに、陸上交通が発展した現代では、河川での水運をあまり意識することはありませんし・・。

(常夜灯)
④-1庭瀬港5


4.水路あれこれ

 庭瀬は、江戸時代から水運の町として発展しただけあり、あちこちに水路が通っていて、さながら「岡山の水郷」といった趣です。
 また藩政以前、この辺りは沼地であったらしいので、水運の町に発展する素地は、元々存在したのだろうと思われます。


 この民家は、敷地からすぐのところが水路になっています。
町には、このような民家も多く、自宅の庭先から釣り糸を垂れている人を見かけました。

(民家庭先を通る水路)
⑤水路3


 こんな軒先で昼寝をしたら、なんとも涼しそう・・。

(民家の間を通る水路)
⑤水路2


 みごとなS字カーブ!!

(蛇行する水路)
⑤水路7


 小舟が係留されていました。

(水路に浮かぶ小舟)
⑤水路6

 
 水面(みなも)に浮かぶ「水上都市」・・。

(水上都市)
⑤水路4


 実際に町を歩いてみると、たくさんの水路が集落の間を縫っているのがわかります。また、町中には満面と水をたたえる江戸時代の城郭の堀があり、いかに庭瀬の町が水に恵まれた土地であるかを知ることができます。
 まさに「岡山の水郷」と呼ぶにふさわしい景観が、ここにはありました。 

⑤水路5

 (この旅の続きはこちら → (後編)岡山の水郷を訪ねて

関連記事はこちら →  犬養木堂の生家探訪

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相棒

 あす予定しているポタで新しい相棒が颯爽と登場します。その相棒とは「デジカメ」です。

 今までは、いわゆる「コンパクトデジカメ」をポケットに忍ばせ、旅の写真をパシパシ撮っていましたが、それではもの足りなくなって今回ステップアップ、「デジタル一眼カメラ」をGETしたのです!!

 そして手にした、新しい相棒はこれです!!
小型・軽量でレンズ交換が可能なミラーレス・デジタル一眼「OLYMPUS OM-D E-M5」。このカメラは、本体に一般的なミラーレスでは搭載されていないファインダー(カートリッジ方式が多い)を備えており、あたかも「デジタル一眼レフ」のように被写体に対峙することができるのが特徴です。

写真の写真


・・ということで先週の土曜日は、カメラのチェックを兼ねて岡山市内を街ブラしてきました。


1.表町界隈


 ここは岡山市街地の東の繁華街、「表町」です。

①表町界隈4


 デパートの「天満屋」、「ロフト」、「表町商店街」及び「岡山クレド」などのファッションモールと天満屋バスセンターがあり、西の岡山駅前とともに市街地の中心街を形成しています。

(ファッションビル・岡山クレドビル)
①表町界隈5


 ここは、表町オランダ通りです。

①表町界隈3


 通りのイメージに合わせた、おしゃれなショップが建ち並びます。

①表町界隈2


 ここは「旧日本銀行岡山支店」であった建物で、現在はホールとして利用されています。

(ルネスホール)
①表町界隈


2.桃太郎大通り

 それでは「表町」から「桃太郎大通り」を歩きながら、岡山駅へ移動してみましょう。
ここ「桃太郎大通り」は、岡山駅から東へまっすぐに延びる大通りです。写真奥に見える円筒形の建物はクラシックなどの演奏会が開かれる「岡山シンフォニーホール」です。

②桃太郎大通り


 通りの歩道は広く、岡山市街地の中心通りとして、とてもきれいに整備されています。

②桃太郎大通り2


 「桃太郎」と名のつく通りだけに、桃太郎のお供「キジ」がいます。

②桃太郎大通り3


 通り沿いにある雰囲気のある美容院。

②桃太郎大通り5


 こんどは「イヌ」です。

②桃太郎大通り4


 そして「サル」。

⑤西川緑道公園


 しかし、なかなか主役が登場しません。あれっ~、これがもしかして・・。「小便小僧・・」じゃなく、「桃太郎さん」です。たぶん、桃から生まれたばかりなんでしょう・・。

②桃太郎大通り6


 とぼけた「サル」もいたので、おまけにUP!!

 ②桃太郎大通り7

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3.岡山駅

 そうこうしているうちに、岡山駅に到着しました。
岡山駅界隈には地下街「岡山一番街」をはじめ、「高島屋」、「ビックカメラ」、「岡山ビブレ」そして駅構内にある「さんすて岡山」などのファッションモールがあり、岡山最大の繁華街でもあります。

(待ち合わせの殿堂「岡山駅噴水前」)
③岡山駅


 そして、ここで全員集合!!やっぱり、この人たちも噴水前集合だったようです。それにしても、ハトにたかられて大変な状況・・。

③岡山駅2


 さて、駅ビル内にあるこの水槽、何かおかしくないですか?

④岡山駅6


 そう、淡水魚の「金魚」と海水魚の「カクレクマノミ」が一緒に泳いでいます。

③岡山駅5


 それでは、この連絡通路を通り、駅西口へ行ってみましょう。

③岡山駅3


 この東西連絡通路を抜けると・・。

③岡山駅4


4.リットシティビル

 西口にそびえるのは、「リットシティビル」です。「岡山全日空ホテル」、「NHK岡山放送局」、「岡山市デジタルミュージアム」などが入っています。

④リットシティー


 そして、実はこれを見るのが、もうひとつの目的だったのです。

④リットシティー2


5.西川緑道公園

 最後は、岡山市中心部を北から南に流れる「西川」沿いを親水広場に整備した「西川緑道公園」です。

⑤西川緑道公園2


 先ほど紹介した、表町と岡山駅を分かつように続くこの公園は、多くの緑が木陰をつくり、まさに都会のオアシスです。

⑤西川緑道公園3



 これで、一応カメラのテストは終わりましたが、結局写るかどうかという最低限の確認をしただけで、その機能面まで使いこなすようなことはできませんでした。(当然ですが・・)
 まあ、初心者ですから技術がないのは仕方ないとして、とにかく興味を持った被写体をどんどん撮っていきたいと思います。何といっても自分が楽しいのが一番ですから(笑)


(岡山市街地)



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ミニ・ポタ紀行「商都の街並み探訪 ~米子市~」

ミニ・ポタ紀行
「商都の街並み探訪 ~米子市~」


 今回は、米子滞在2日目に市街地をぶらぶらした時のレポートです。


1.旅籠(はたご)まつや

 ポタリングのスタートが12時過ぎだったということもあり、いきなり昼ごはんからのレポートです・・。

 ポタリングをスタートしてから数分、何気なくあたりを見るとこのような看板が・・「昼御膳始めました。」
ぱっと見、古民家としか思えない建物ですが、どうやら食事ができるようです。中に入ってみましょうか?

①まつや


 こっちは1人だし予約も取っていないので、食べさせてもらえるのでしょうか?
少し緊張しながら玄関をくぐります。すると奥からお店の人が出て来てくれました。

①まつや (15)


 「1人でも全然OKです!!」ということなので、土間風の通路を通って、奥へ迎え入れてもらいます。

①まつや (2)


 そして、1階レジの横にある階段から、上にあがっていきます。
照明などのチョイスもGOOD!!

①まつや (7)

 
 2階につきました。ここにも座敷があるのですが、さらに階段をあがっていきます。
これ「階段たんす」というんでしょうか?いいですね、日本家屋って・・。

 ①まつや (10)


 建物の間口以上に、奥行きを感じる店内を案内されて、辿りついた座敷がここです。

①まつや (3)


 3階には、この部屋を含め八畳くらいの部屋が三間続いています。

CIMG4720.jpg


 角部屋だったので、このような縁側もありました。

①まつや (8)


 あまりにも趣がある建物なので、店の人に由緒を聞いてみると、どうも築100年以上経過した旅館を改修したものだそう・・。そこで食事が出るまで、少し建物内を探索してみることにしました。
これは2階の長い廊下です。ここも照明の感じがとても良いです!!

 ①まつや (6)


 廊下の先にあった出窓。格子状のガラス窓に観葉植物がよくマッチしています。

①まつや (5)


 洋館をイメージさせるようなタイル張りの洗面に、あたたかい色の照明が当たっている感じがいいですね。それから何といっても、洗面中央にある「金だらい」がいい味を出しています。

①まつや (4)


 ここは1階の表玄関です。どうやら、私が入ってきたのは裏口だったようです。

①まつや (11)


 さて、ちょろちょろしている間に食事の用意ができたようです。
これが昼御膳(¥1,500)です。私は一度にいろいろなものを食べられる日本料理が好きなのですが、ここの料理は種類のみならず、すべてのおかずの味つけが良いのでとてもおいしくいただきました。また、それぞれの量も多く、男性が食べても十分納得のいく質と量が確保されています!!

①まつや (9)


 食後のデザートはこれです。私の好きなコーヒーをゆっくり飲んで、身も心も十二分に癒されたので、店をあとにします。

①まつや (12)


 せっかくなので、店を出るときは表口から出てみました。裏口とは少し違った趣の表側です。ちなみに手前の建物は別の店ですが、これまた良い雰囲気だったので、いっしょに写しておきました。

①まつや (13)


 こちらは、「旅籠まつや」の対面にある建物です。このあたりは、このようなレトロな建物が多いようです。

①まつや (14)

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2.加茂川沿い


 ここは、米子の中心部を流れる加茂川です。藩政時代には荷物を運搬する小舟が行き交う米子城下の大動脈だったそうですが、川沿いには、いまでも土蔵群が建ち並び「商都米子」を印象づける風情を残しています。

②米子市内


 おやっ?これは・・・。「カッパ」ですな。少年と仲良くスイカをほおばっています!!

②米子市内 (2)

 
 このカッパの親子は、昔から加茂川に住んでいたのですが、川が汚れてしまったので一時、山間部に疎開していたそうです。しかし最近、川が澄んできたので親子そろって帰郷したそうです。(当地案内板より)
やはり生まれ故郷がいいのでしょうか?みんなうれしそう!!

②米子市内 (4)


 木にしがみついているカッパのむこうに、チラリと見えるのは遊覧船です。加茂川から古い街並みを観るのも結構ですね!!

②米子市内 (3)


 ここは川のすぐそばに建つ「後藤家住宅」です。この辺りでは際だって大きな旧家で、かつては藩の米を回漕する特権を有した回船問屋として栄えた家です。今でも残る商都米子の面影を象徴するシンボル的存在といえるでしょう。
 
②米子市内 (5)


3.米子の街並み

①民家と郵便ポストのある風景

 風にゆれる「のれん」と懐かしいポスト、そして植物の緑が古民家と相まって、情緒的な風景を形作っています。

①米子市内 (2)

②岡本一銭屋

 ここは、昔懐かしい駄菓子屋さんです。なんといっても歴史を感じさせる大きな看板が目をひきます。私も小学生の頃は、駄菓子屋さんに遠足のお菓子を買いに行っていました。一品一品が安いので、結構な量になるんですよね!!


②米子市内 (8)


③凉善寺

 ここは南北朝時代の武将、「児島高徳(こじまたかのり)」ゆかりの寺「凉善寺(りょうぜんじ)」です。

②米子市内 (7)


 「児島高徳」は後醍醐(ごだいご)天皇に仕えた後、一貫して南朝方に与し、武勇を轟かせたため、南朝の忠臣として讃えられている人物です。
 このお寺には、「児島高徳」の子孫の位牌が納められているそうで、かつては高徳本人の墓もあったそうです。
写真は、境内にある「児島高徳顕彰碑」です。

②米子市内 (6)


(わら)い地蔵

 このかわいらしい地蔵様は「咲い地蔵さん」です。このお地蔵さんをはじめとして、古い町並みが残る加茂川沿いには多くのお地蔵様があり、「お地蔵様巡り」のコースがあるようです。
 
①米子市内


湊山(みなとやま)公園

「湊山公園」は、米子城のふもとに広がる公園で、米子随一の桜の名所として有名なのだそうです。
公園の海岸から眺める夕日は絶景だそう・・。
 一方、城山の上にある米子城は「吉川広家(きっかわひろいえ)」の手によって着工されました。「吉川広家」というと、関ヶ原の戦いで西軍総大将に祀り上げられた毛利宗家を守るため、一門でありながら東軍(徳川方)と内通し、西軍最大勢力である毛利軍の本格参戦を阻止、結果的に東軍を勝利に導いた人物として知られます。関ヶ原の合戦後、その吉川家が周防国(すおうのくに)(現在の山口県)岩国へ移動した後、この築城を引き継いだのは、「中村一忠(なかむらかずただ)」でした。この人はNHK大河ドラマ「功名が辻」でロンブー敦が演じた「中村一氏(なかむらかずうじ)」の嫡男で、関ヶ原の戦功などにより、この地を拝領しました。米子城は,この一忠の時代に完成をみます。現在は天守閣などなく城跡となっていますが、在りし日の米子城は、山陰一の名城とよばれていたそうです。

②米子市内 (10)


 こちらは海岸から見た「中海」です。できれば夕暮れ時まで、ここに居たかったなぁ・・。

CIMG4784.jpg


 これは公園内にあった機関車界の名車「D-51(デゴイチ)」です。

②米子市内 (13)


 このステッカーの意味を調べると、昭和14年大宮工場生産車両のようです。

②米子市内 (11)


 ここは運転室。昔の映像などで見る石炭投入口が、しっかりと残っていました。

②米子市内 (12)


⑥山陰歴史館(旧米子市役所)

 ここは昭和5年に米子市役所庁舎として竣工されたレンガ造りの建物です。現在は「山陰歴史館」として利用されており、内部は米子城関連資料や人々の暮らしを支えた道具類など、山陰地方の歴史を物語る展示がなされています。また、夜になると建物がライトアップされ、レトロな米子の街並みを演出しています。(米子市指定有形文化財)


②米子市内 (14)



(あとがき)

 今回は初の本格的な県外遠征ということで、鳥取県米子市を旅してきました。とはいえ、私は今から10年ほど前、転勤のため同じ鳥取県の倉吉市近郊で3年間暮らしたこともあるので、この辺は第二の故郷といっても過言ではありません。しかしながら、今までは車でしか訪れたことがなかったので、ゆっくりと街を探訪するようなことはありませんでした。そういう意味では、懐かしさと新たな発見がないまぜになったような旅でしたが久しぶりに、この地方独特の風土と人のあたたかさにふれることができたように思います。

 今後も、さらにたくさん、それからもっと遠くへ旅に出て、ほんの一瞬でも、その土地と一体になれるような有意義な時間を過ごすことができたらと思います。

前回の旅の記録はこちら → 「ゲゲゲの町へポタリング

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(4)ゲゲゲの町へポタリング ~鳥取県・境港市~

2012ポタリングシリーズ(ファーストステージ⑥)
(4)ゲゲゲの町へポタリング ~鳥取県・境港市~

(この旅をはじめから表示する場合はこちら → はじめから表示


11.境港の町


①境水道大橋

 それでは、そろそろ水木しげるロードをはなれて、境港の町をめぐりながら米子市内へと帰って行きましょう。
水木しげるロードのやや北側には、ロードと並行するように境水道が広がっています。岸壁にはカニ漁を行う大型の漁船などが停泊していました。向こうに見えるのは「境水道大橋」です。

①境港


 「境水道大橋」は対岸、島根半島・美保関(みほのせき)との間に架かる長さ709メートルの橋です。

①境港3


②境台場公園

 ここは海をながめることができる「境台場(だいば)公園」です。

①境港6


 公園内には六角形の白い灯台が立っています。

①境港4


 これは、境港市出身の俳人「木村撫城(きむらしょうじょう)」の句碑です。高浜虚子の門弟で、望郷の念が厚く故郷の句を多く詠んだそうです。(当地案内板より)

①境港5


③漁港

 さすがに日本海側有数の漁港でもある境港市、港にはところ狭しと漁船が停泊しています。またこの近くには一般人が入場できる活魚市場などがあります。

①境港7


④夢みなとタワー

 これは、「夢みなと公園」内にある「夢みなとタワー」です。
1997年にこの地で開催された、鳥取「山陰・夢みなと博覧会」のシンボルタワーとして建てられたそうで、高さは43mあります。最上階展望室からは美しい日本海が望めるそうですが、私が訪れた時は閉館していました・・。

①境港8


⑤米子へむけて

 米子へ向けては、海岸線に沿った道を走ります。(進行方向左側が海岸)道路の両側に見える松林は、海岸から海砂の飛散を防止する目的があるようです。この時間帯になって、ようやく天気がよくなってきたので、松林に囲まれたシーサイドロードを気持ちよくペダリングします!!

①境港11


 ここで少し海岸の方へ出てみました。きれいな砂浜の向こうには、限りなく広がる日本海を望むことができました。

①境港9


 さて、再び米子市まで戻ってきました!!

①境港10

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12.皆生温泉


 間もなく米子市街地・・。しかし、こよなく温泉を愛する私はちょっと寄り道。
皆生(かいけ)温泉」にやってきました。
 
(温泉街通り)
②皆生温泉3


 ここ皆生温泉は、温泉が数多くある山陰地方でも有数の規模を持つ温泉地です。

(雰囲気のある温泉旅館)
②皆生温泉5


 大きな旅館が建ち並ぶ向こう側は海岸となっており、旅館の大浴場からは日本海を眺めることができるなど、リゾート気分も味わえます。

(大型の宿泊旅館)
②皆生温泉4


 「弓ヶ浜」と呼ばれる海岸線は、まさに弓状に弧を描いており、この辺りの特徴的な風景を演出しています。

(海岸沿いの散歩道)
②皆生温泉


 温泉街の中ほどには、海に面したきれいな公園が整備されていました。ここから望む日本海の夕日はとてもきれいでしたよ~!!

②皆生温泉9


 公園の近くで足湯を見つけました。この日はあまり時間がなく、「せっかく来たのに立ち寄り湯もできず・・」と思っていたところだったので、さっそく湯に足をつけてみました。

②皆生温泉7


 最初はかなり熱く感じたのですが、慣れてくるといい湯です~!!この時点で走行距離は50km超。温泉はポタリングで疲れた脚と心を芯から癒してくれます。

②皆生温泉8


 この方は?
この人は、ここ皆生を山陰随一の温泉街に育てた功労者「有本松太郎翁」です。翁はただ単に温泉の開発を行うだけではなく、交通網の整備や温泉地一帯の都市計画を策定するなどして「近代的な温泉地」の基礎を作り上げた人だそうです。(当地の案内板より)

 ②皆生温泉2


 これは米子市出身の文学者「生田春月(いくたしゅんげつ)顕彰碑」です。生田春月は明治末期から昭和初期にかけて活躍した文学者で、詩や小説をはじめとした文学作品を残しているようです。

②皆生温泉6


13.米子市内

赤大山(あかだいせん)

 皆生温泉をあとにして、米子市内に戻ってきました。すると雲が消え、ようやく中国地方最高峰「伯耆大山(ほうきだいせん)」が姿を見せてくれました。電線が邪魔をしていますが、夕日に照らされた大山は赤くてとても美しいです。

③米子市内


②旧日ノ丸自動車法勝寺(ほっしょうじ)鉄道車両

 この車両はかつて運行されていた「日ノ丸自動車法勝寺鉄道」で走っていたもので、現存する最古の四輪木製三等客車だそうです。

③米子市内2


 四輪木製三等客車は明治時代に最も一般的な客車であったようで、この車両は明治20年(1887)イギリス・バーミンガム工場で製造されたものだそうです。(鳥取県保護文化財指定)(当地案内板より)
 色といい形といい、なかなかかわいらしい車両です。木製というのも暖かみを感じさせます。

③米子市内3


14.ゴール JR米子駅

 ゴールはJR米子駅です。米子駅は山陰本線、境線および伯備(はくび)線が入線する米子の中心駅です。

④米子駅


 また、米子駅は山陰地方で初めて鉄道が走った場所のようで、「山陰鐵道発祥の地 米子」の石碑がありました。
なお、初めて開通したのは意外にも境線だったようです。(明治35年・境-米子-御来屋間35km開通)
(当地案内板より)

④米子駅2


 構内にある「だんだん広場」には「銀河鉄道」のようなモニュメントがありました。
このカットは、今まさに夕闇の中を列車が宇宙(そら)にむけて走っていくような感じです!!

④米子駅3

前の旅の記録はこちら → 「鳥人幸吉のふる里探訪ポタリング」)
(この旅をはじめから表示する場合はこちら → はじめから表示



☆今回のポタリングデータ

  日付:2012年6月5日
  距離:63.7km
  最高速度:30.7km/h
  平均速度:20.1km/h
  経過時間:4時間23分08秒
  消費カロリー:790kcal

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(3)ゲゲゲの町へポタリング ~鳥取県・境港市~

2012ポタリングシリーズ(ファーストステージ⑥)
(3)ゲゲゲの町へポタリング ~鳥取県・境港市~

(この旅をはじめから表示する場合はこちら → はじめから表示


8.水木しげる記念館

 この先のアーケードをすすむと「水木しげる記念館」があるようです。
それでは行ってみましょう。

⑫記念館5


 ここが「水木しげる記念館」です。
展示はおもに水木しげるや妖怪についてなどですが、その中で、水木しげるが妖怪を描く漫画家となった由縁のようなものが語られています。以下は私が印象に残った事を簡単にまとめたものです。


①漫画家「水木しげる」誕生までの道のり

 水木しげるの漫画家人生は、紙芝居作家から始まったそうです。その後紙芝居が下火になってくると、貸本漫画家に転身、さらに零細な貸本業界から雑誌漫画家に転身を図り現在の成功をおさめました。当時、漫画家で成功した人たちは大抵このような経歴を刻んだようで、転身をしながら生き残った人こそが最終的に人気漫画家となれたようです。

(水木しげる記念館入り口)
⑫水木しげる記念館


②妖怪たちとの出会い

 幼少の頃、よく面倒をみてくれていた「のんのんばあ」から、この世とはまた別の世界があることを教えられた水木しげるは、妖怪の世界に興味を持つようになったようです。それは子供へのしつけや(いまし)めのための話でもあったのでしょうが、「のんのんばあ」はそのような話にとても、造詣(ぞうけい)が深く、また時代的にも身の回りに、そのような話が成り立つ風景が多く残っていたのだと思われます。
 私も幼少の頃は祖母に、似たような話を聞かされました。「あの沼に近づきんさんな、まわりが暗うなると、あそこにゃあ「ぬし」がおって、あんたぁ足を引っ張られるけぇ!!(広島弁)」などといわれたことを今でも思い出します。

(水木しげる記念館の中庭・・・ここは妖界のため立ち入り禁止です!!)
⑫記念館3


③冒険家としての水木しげる

 水木しげるは冒険家としての一面をもっているようです。世界各国のいろいろなところに妖怪遍路(へんろ)のような旅に出ていて、記念館ではアフリカの現住民族の集落を訪れ、伝統的な祭りなどに参加したり、神聖な儀式を行う建物を見学したときの映像を見ることができます。また当地の儀式用に使われるお面などを収集したものが飾られていました。
 一方、民俗学にも造詣(ぞうけい)が深く、人間の素直な心が感じる世界に着目しているような気がしました。この辺りは、画家「岡本太郎氏」とも似た世界観を持っている人だと私は思いました。

(記念館を出たところにいた「ねずみ男」)
⑫記念館


 記念館に隣接する建物に、ひっそりと貼ってあったポスターというか広告というか・・。
具体的な意味はわからないですけど、書いてある内容が面白いです!!
 今回、「水木しげる記念館」は時間の関係もあり、あまりゆっくり観ることができなかったのですが、次回来るときは、もう少し余裕をもって鑑賞したい場所だと思いました。。

⑫記念館2


9.もどり道

 さあ、そろそろ妖怪の世界から人間界に戻っていきましょう。その前に、鳥取名産の「梨ソフトクリーム」をいただきまます!!

⑬ロード帰り


 帰りの道中、橋の欄干には「鬼太郎」と「目玉おやじ」がいました。

⑬ロード帰り3


 出くわした「ねこ娘」が、かわいいポーズをしてくれています。

⑬ロード帰り2


 駅の近くには、煙突のある、いい雰囲気の旅館もありました。

⑬ロード帰り5


 これは「水木しげる顕彰碑(けんしょうひ)」ですが、「なまけ者になりなさい」とはいい言葉です!!

 ⑬ロード帰り4


 こちらも水木先生の言葉です。「人生は・・・・・終わりよければ、すべてよし・・」
そのとおり!!

⑬ロード帰り6


 これは、駅前にある交番です。この町では、交番までも妖怪仕様でした。

⑬ロード帰り7

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10.妖怪ギャラリー(その2)

ここは、私が独断と偏見で選んだ「ほのぼの妖怪」特集のコーナーです。


①鬼太郎

 いまや、世界で最も有名な妖怪といっても過言ではない、妖界の主演男優賞受賞候補。

⑭ギャラリー4


②目玉おやじ

 親父にしたい妖怪の第一位にランクイン必至の「目玉おやじ」は、本当の意味での鬼太郎ファミリー。

⑭ギャラリー3


③ねこ娘

 鬼太郎ファミリーのアイドル「ねこ娘」。鬼太郎に淡い恋心を抱くが、その反面嫉妬に狂うと恐ろしい~。

⑭ギャラリー8


④カシャボ

 河童(かっぱ)が冬場に川からあがり、山奥に籠もったときの姿だそうな。河童にも水泳シーズンがあるのですな・・。とぼけた姿がかわいい水陸両用タイプの妖怪!!

⑭ギャラリー


⑤お歯黒べったり

 美しい花嫁姿をしていて、後ろ姿は綺麗だが、振り返るととっても恐ろしい妖怪。風体、ネーミング、コンセプトどれをとっても最恐の妖怪?

⑭ギャラリー2


⑥ぬりかべ

 これまた鬼太郎ファミリーの「体格キャラ」・・。その昔、水木先生が戦地で実際に出逢ったことがある妖怪だとか・・。

⑭ギャラリー7


⑦倉ぼっこ

 名前からして、かわいい古い倉に住むという防火の神様。一家に1台・・じゃなくて、一神いて欲しいものです・・。

⑭ギャラリー6


⑧田の神

 妙にリアルですが、単なる農民ではありません。豊作を司る「田の神」です。日本全国の田畑にいらっしゃる、とても身近な神様です。

⑭ギャラリー9


⑨豆腐小僧

 特に悪さはしないが、差し出す豆腐には手をつけない方が無難・・。しかし、この上目づかいは笑えます(爆)

⑭ギャラリー10


⑩妖怪パン

 カトパン、ショウパン、ヤマサキパンならぬ「妖怪パン」です。私的には一反木綿が一押し!!

⑤妖怪ギャラリー10


 さて、それでは少々時間も押してきたので、とぼとぼと米子方面に向かって出発しますか・・。
ということで、久しぶりに訪れた「水木しげるロード」を十分堪能した私は、宿のある米子市内へと進路を変えたのでした。

 この旅の続きはこちら → 「(4)ゲゲゲの町へポタリング」
(この旅をはじめから表示する場合はこちら → はじめから表示

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(2)ゲゲゲの町へポタリング ~鳥取県・境港市~

2012ポタリングシリーズ(ファーストステージ⑥)
(2)ゲゲゲの町へポタリング ~鳥取県・境港市~

(この旅をはじめから表示する場合はこちら → はじめから表示


5.JR境港駅(鳥取県境港市大正町)
 
 米子鬼太郎空港から10km程度北へ向かい、「JR境港駅」に到着しました。
境港駅はJR境線の終着駅で、東側に隣接するフェリーターミナルからは、隠岐(おき)の島行きフェリーが発着しています。とりあえず自転車は駅に置き、ここからは歩いて町を探訪します。

⑥境港駅


 これは駅前広場にある、漫画執筆中の水木しげると妖怪達です。アトリエ内は、本当にこのような状況ではないかと思えるぐらい、良くできています。

⑥境港駅2


 さすが水木しげるのふる里、ポストの上に鬼太郎がいます。

⑥境港駅3

 
 また、入線してきたJRの列車までもが妖怪仕様・・。

⑥境港駅6


 さすがにこちらは妖怪ではありません。「水木夫妻」のオブジェです。
NHK朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」の放送開始を記念して建てられたものだそうです。

⑥境港駅.4jpg


 これは駅前ロータリーに停車中のタクシーですが、行灯(あんどん)が「目玉おやじ」です・・。

⑥境港駅5


 おまけに、街灯までも「目玉おやじ」・・。

⑦水木しげるロード


6.水木しげるロード


 私がここに訪れるのは17年ぶりぐらいでしょうか?
しかし、以前に比べて妖怪の数が多いこと・・。今ではすっかり山陰の観光拠点に生まれ変わっておりました!!
水木しげるロードは平成5年(1993)に23体の妖怪オブジェでもってオープンしたそうですが、スタートから19年を経た現在では、その数139体・・。賑やかさが違うのは当たり前ですね!!

⑦水木しげるロード3


 ここは、妖怪達が憩う「河童(かっぱ)の泉」です。当日は撮影スポットとして大人気でした!!

⑨妖怪池


 そうこうしていると、河童の泉に「砂かけ婆」が出現!!
調子よく踊っています・・。

⑦水木しげるロード2


 この交差点を過ぎると、本格的に妖怪ワールドに突入していきます。通りの両側には妖怪に出店を許可された人間だけが開ける「おみやげ屋さん」が建ち並んでいます。

⑦水木しげるロード7


 あっ、店先のこんなところにも「目玉おやじ」!!

⑦水木しげるロード4


 ここは「妖怪神社」です。奇妙な形の鳥居が参拝客を迎えてくれます。

⑧妖怪神社


 これは「御身体の目玉石」です。この石にふれると底知れぬパワーが授かるそうです・・。

⑧妖怪神社2


 ここでは、願い事は絵馬ではなく、「妖怪念力棒」に書くのです。そして書かれたことは、妖怪の力によって成就するとか・・。

⑧妖怪神社3


 水木しげるロードの通りの両側には、途切れることなく妖怪オブジェが立っています。ですから、妖怪に逢えるというよりむしろ、妖怪だらけの町なのです。

⑦水木しげるロード.8jpg


 ここは野菜などを売る創業80年超の老舗「いけびんストーア」です。一種のスーパーみたいなところですが、なぜ「ストア」でないのでしょうか?

⑦水木しげるロード5


 ちなみに最寄りのバス停も「いけびんストーア前」です。さすがは老舗・・。

⑦水木しげるロード6

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7.妖怪ギャラリー(その1)

 ここでは、ゲゲゲの鬼太郎の主要キャラクターと私が気に入った妖怪達を勝手にピックアップします!!


①ねずみ男
 言わずと知れた鬼太郎ファミリー。図々しいが、どこか憎めない・・。このような人物は身の周りでも見かけますね!!

⑤妖怪ギャラリー9


②砂かけ婆

 こちらも鬼太郎ファミリー大御所の一人。尺八が趣味だとか・・。

⑤妖怪ギャラリー7

③キジムナー

 沖縄の妖怪で、ガジュマルの精霊。大きな目玉が特徴的!!

⑤妖怪ギャラリー4


④川赤子

 川で赤ん坊の泣きまねをして、人を水中に引き入れる。見た目とは違い、恐ろしい妖怪・・。

⑤妖怪ギャラリー5


⑤ひょうとく

 一般的には「ひょっとこ」で知られている妖怪。とてもひょうきんな顔つき。

⑤妖怪ギャラリー


⑥べとべとさん

 夜道を後ろからつけてくるが、さして悪さはしないという変な妖怪。のんびりした感じが好印象!!

⑤妖怪ギャラリー11


算盤(そろばん)小僧

 丹波国(たんばのくに)の妖怪です。抜け目のないかしこそうな顔立ち・・。

⑤妖怪ギャラリー2


⑧サラリーマン山田

 小心者のオッサン。普通の人間だそうですが・・。

⑦水木しげるロード9


(かさ)化け

 粗末に捨てられた傘のオバケ。オバケ屋敷では定番の妖怪ですよね!!

⑤妖怪ギャラリー3


 この次はどんな妖怪に会えるのか・・。この旅の続きはこちら → 「(3)ゲゲゲの町へポタリング」
(この旅をはじめから表示する場合はこちら → はじめから表示

⑤妖怪ギャラリー6

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(1)ゲゲゲの町へポタリング ~鳥取県・境港市~

2012ポタリングシリーズ(ファーストステージ⑥)
(1)ゲゲゲの町へポタリング ~鳥取県・境港市~


 今回は初めてとなる本格的な県外ポタリングを決行!!
訪れたのは鳥取県米子市(よなごし)です。山陰ならではの雄大な自然と、古き良き商都の町並みが残る米子を起点に、のんびりポタリングを楽しみます!!


1.スタート  米子市役所(鳥取県米子市加茂町)

 岡山から米子までは車に自転車を積んで訪れました。米子市内に宿をとり、2泊3日の滞在で自転車旅を敢行です。
 さて、今回のスタートは米子市役所としました。

①米子市役所


2.米子市内

 ここ米子市は、鳥取県の西部で隣の島根県との県境付近に位置する人口約15万人の街です。古くは商都として栄え、「山陰の大阪」とも呼ばれていましたが、現在では山陰最大の圏域人口を抱え、また交通の要衝でもあることから、島根県の松江市と並び「山陰の拠点都市」になっています。
 一方、自然にも恵まれており、北は日本海、西には中海、そして東には中国地方の最高峰「伯耆大山(ほうきだいせん)」を望むことができます。


①「中江藤樹先生成長の地」石碑

 儒学者「中江藤樹(なかえとうじゅ)」は日本陽明学(ようめいがく)派の祖で、のちに近江聖人と称され、門下生として熊沢蕃山(くまざわばんざん)らを輩出します。
彼は幼少の時、米子藩主である加藤家に仕えていた祖父の養子となり、この地にやって来ました。しかし、翌年加藤家が伊予国(愛媛県)に国替えとなり、祖父母とともに移住したそうです。
 わずか1年足らずの滞在だったようですが、多感な時期をここで過ごしただけに、その後の人生に影響を与えるような思い出が残ったことでしょう・・。

②米子市内


加茂(かも)神社天満宮

 自転車に乗り、北へ進路をとって進んでいると、このような立て看板が見えてきました。何でしょうか、見に行ってみましょう・・。

②米子市内2


 ここは市役所のすぐ近くにある「加茂神社天満宮」です。

②米子市内6


 私が訪れたときは、屋根瓦の補修工事を行っていたようで、仮宮が用意されていました。

②米子市内4


 これは本殿の鬼がわらのようです。かなり大きいもので、比較対象として私の靴を置いてみました・・。

②米子市内5


 これが立て看板にあった「宮水(みやみず)」のようです。この「宮水」は神社の敷地内に湧き出る水のようで、米子三名水のひとつに数えられているようです。
かつて、この付近に上水道が普及するまでは、この湧水が町内に供給されていたそうです。
(当地宮水案内板より)


②米子市内3


 また、加茂神社天満宮には「米子」という地名の由来となった以下のような話が伝わっています。

 ☆昔、野田翁次郎という人がいて老年になっても子供を授からず、この神社に祈願したところ、見事八十八歳で子宝に恵まれたそうです。この慶事にちなんで米子という地名がつけられたそうです。
(当地案内板より)

 この神社では、米子命名にちなみ毎年8月18日に「宮水祭」が行われるそうです。


③「SAVE THE 潮止め松」プロジェクト

 神社をあとにして、さらに北上をしていると、今度はこのようなものが目に入ってきました。
松の大木のようです。

②米子市内7


 目の前には、このような案内板が立っていました。

②米子市内12


 樹木を裏側から見ると、こんな感じです。確かに一本だけになった枝が、よく頑張っています。
何とかここを踏ん張って元気になってほしいものです。

 ②米子市内8

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④米子水鳥公園(鳥取県米子市彦名新田)

 ここ米子水鳥公園は、コハクチョウの西日本最大越冬地である「中海(なかうみ)」に面する、広さ約28ヘクタールの湿地公園です。

②米子市内11


 ここはコハクチョウをはじめとして、毎年100種類以上の野鳥を見ることができる、西日本屈指のバードウオッチングのスポットとなっています。

②米子市内9
 

 しかし残念ながら、この日は休園日でした・・。

②米子市内10


 米子の郊外に差し掛かってきました。道は広くて見通しの良い直線部分が多くなってきます。

③米子空港


 このきれいな道を北上していくと、間もなく「境港市(さかいみなとし)」に入ってきました。

③米子空港2


3.米子鬼太郎空港(よなごきたろうくうこう)

 到着したのは、2500メートルの滑走路を持つ「米子鬼太郎空港」です。

③米子空港3

 
 現在は東京便、ソウル便が発着する山陰地方の拠点空港です。

(1階ロビー全景)
③米子空港9


 さすが「鬼太郎空港」だけあって、場内「妖怪」だらけ!!

(エントランス)
③米子空港4


 1階ロビーの一角にも「鬼太郎」と「目玉おやじ」が・・。

③米子空港7

 
 そして、ここには「ねずみ男」・・。ほかにも多くの妖怪が巣くっていました・・。

③米子空港5


 ターミナルビル2階には、このようなマップが・・。
「世界で唯一の妖怪の名を冠した空港」だそうです・・。そりゃあ、そうだ!!

③米子空港6


 送迎デッキから航空機を眺めてみました。 

(韓国・仁川国際空港行きの航空機)
③米子空港8


4.境港市街地突入

 鬼太郎空港をあとにして、さらに北上を図ります。そうすると、今回の目的地「境港市街地」に入ってきました。

 この旅の続きはこちら → 「(2)ゲゲゲの町へポタリング」

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(3)鳥人幸吉のふる里探訪ポタリング ~八浜(岡山県玉野市)~

2012ポタリングシリーズ(ファーストステージ⑤)
(3)鳥人幸吉のふる里探訪ポタリング ~八浜(岡山県玉野市)~

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9.蓮光院

 ここ蓮光院(れんこういん)は天明5年(1785)に建立されたお寺です。

⑦蓮光院


 幸吉の家は、このお寺の檀家だったようで、彼の位牌もここに納められているそうです。

⑦蓮光院2


 境内は、きれいに整えられていました。

⑦蓮光院3


10.六角井戸

 これは、町の中にある六角井戸です。かつては、ここでくみ上げた水を飲料水として廻船に積み込んでいたとか・・。町の雰囲気にとてもマッチしたなかなかの造形です。

⑫八浜の町並み2


11.その後の幸吉と八浜の町並み

 ここ、八浜の古い町並みは、住民の方々が互いに協力し合うことにより、保存されているようです。それでは、趣のある町を歩きながら、その後の幸吉についてふれてみましょう。

 天明5年(1785)6月のある夜、岡山城下・京橋の欄干から飛び立った幸吉は、わずかながら飛行したものの、バランスを崩して民衆の中へ落下してしまいます。

(歴史を感じさせる民家1)
⑫八浜の町並み3


 そして、城下を騒がせた罪により藩から追放されてしまいました。

(八浜町並み保存拠点施設)
⑫八浜の町並み5


 その後は諸説あるようですが、駿府(すんぷ)(現在の静岡市)に移り住み再び空を飛ぶことに挑戦し、今度は一定の成功をおさめたとか・・。

(カーブする古い町並み)
⑫八浜の町並み4


 しかし、またも駿府の役人にとがめられ追放の憂き目に会います。

(歴史を感じさせる民家2)
⑫八浜の町並み8


 晩年は遠江国見附(とおとうみのくにみつけ)(現在の静岡県磐田市)で過ごし、91歳で波乱に満ちた人生を閉じました。

(焼板張りの民家と水路)
⑫八浜の町並み6


 見附には現在も幸吉の墓があるそうです。

(歴史のある造り酒屋)
⑫八浜の町並み7

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12.櫻屋幸吉橋

 これは町の北側にある「櫻屋幸吉橋」です。

⑪櫻屋幸吉橋2


 「鳥人幸吉」が現在でも町の英雄として、人々に愛されていることを示す建築物でした。

⑪櫻屋幸吉橋


13.ゴール

 湖畔の町をあとにして、岡山市内に戻ってきました。そしてゴールは「京橋」です。
今回は「鳥人幸吉」にスポットを当てて、彼が世界で初めて空を飛んだ「京橋」と生家のある「八浜」を結ぶポタリングをしました。八浜で「幸吉」を感じたからでしょうか、スタートの時とゴールの時では、同じ「京橋界隈」の景色でも少し違ったように思いました。


(あとがき)

 京橋のたもとで、幸吉の石碑を見つけてから、私は彼のことに興味を抱かずにはいられませんでした。
最初はとんでもないことを考える奇人、もしくは何度も在所から追放される懲りない人というイメージだったのですが、彼が持つ先見性や探求心はさることながら、それ以上に夢をあきらめない心は、まさに現代人が持ち続けるのに最も困難な意志ではないかと思いはじめたのです。
 ここからは私の推測にすぎませんが、幸吉は頭が柔らかく、とても冗談が好きな、みんなの人気者だったのではないかと思うのです。もし、彼の生涯を実写化するとしたら、幸吉役は「大泉洋」あたりをキャスティングしたいところです。
 昔日の面影が色濃く残る八浜の町に立つと、今にも通りの向こうから幸吉が翼をつけて走り出してきて、湖へ向かって勢いよく飛び立っていきそうな、そんな感じがしてくるのでした。

(町の北に広がる児島湖)
⑫八浜の町並み9

(前回の旅の記録はこちら →  「犬養木堂の生家探訪」)
(この旅をはじめから表示する場合はこちら → はじめから表示



☆今回のポタリングデータ

  日付:2012年6月2日
  距離:53.7km
  最高速度:----km/h
  平均速度:19.9km/h
  経過時間:3時間41分59秒
  消費カロリー:651kcal

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(2)鳥人幸吉のふる里探訪ポタリング ~八浜(岡山県玉野市)~

2012ポタリングシリーズ(ファーストステージ⑤)
(2)鳥人幸吉のふる里探訪ポタリング ~八浜(岡山県玉野市)~

(この旅をはじめから表示する場合はこちら → はじめから表示


 干拓地を南下し、玉野市八浜に入ったものの、集落にたどり着くためにはもう少し走らなければなりません。そこで、今度は進路を東にむけてペダルを漕ぎます。


3.与太郎様

 しばらく西へ向かっていると「与太郎様(よたろうさま)」が見えてきました。
天正9年(1581)、中国地方の雄「毛利家」と「織田信長」の中国方面侵攻軍指令「羽柴秀吉」の傘下となった「宇喜多家」による八浜合戦が行われました。ここには、その合戦により足の負傷が元で命を落とした総大将「宇喜多与太郎基家(うきたよたろうもといえ)」が祀られており、現在は足腰の神様として地域住民に崇められています。
 私が訪れたときにも、お年寄りの方がお参りに来ていました。

③与太郎様


 さすが地元の雄「与太郎基家」、本人にちなんだ銘菓があるようです。

③与太郎様2


 なんと!!社の前にあるバス停の名前までもが「与太郎様」・・。

③与太郎様3


4.八浜の集落へ

 この枝分かれの道を左に入っていくと、八浜の集落に入ります。

④八浜の町


 そのむかし、児島湾に面した八浜は物資が集散する栄えた港町でした。現在の八浜は、車社会の進展により海運業は衰退してしまいましたが、これより東に児島湾締切堤防が完成し、目の前の海が人造湖となったことで、湖畔にたたずむ趣のある集落になっています。
 このお堂のような建物は町の最北、児島湖の程近くにあったものです。このシンプルな作りが印象的!!

④八浜の町3


 ここは集落の中心道路のようです。道の両脇に家屋が建ち並んでいます。

④八浜の町2


5.鳥人・幸吉

 「鳥人幸吉」は宝暦7年(1757)、ここ八浜の船宿「櫻屋(さくらや)」の次男として生を受けました。しかし、若くして父を亡くした幸吉は、早くから自立の道を歩んだようです。そして岡山城下に移り住み表具師(ひょうぐし)として生活をはじめます。幸吉の仕事は次第に城下で評判になりますが、彼には大きな夢が芽生えはじめます。それは「鳥のように大空を飛ぶこと」、そのために研究を積み重ね、表具師としての技術を利用して、竹と木で組まれた紙製の翼を作ります。
 そしてむかえたある日の夕刻、岡山城下・京橋の欄干から空に舞い立つのです。それは世界で初めて人間が空を飛んだ瞬間でした。

 写真は幸吉の記念碑です。地元では生家の屋号を取って「櫻屋幸吉(さくらやこうきち)」とよばれるようです。また、八浜には「櫻屋幸吉保存会」が組織されており、歴史資料の研究、保存などが行われているようです。

※表具師・・・掛け軸や屏風の修理、ふすまの張替えなどを行う職人

⑩記念碑


 ほかに、このような木製のものもありました。

⑩記念碑2

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6.八浜八幡宮

 それでは両児山(ふたごやま)の山頂にある「八浜八幡宮」までいってみましょう。

⑤八幡宮


 両児山は町の西側にある、落花生のような形をした小高い山です。

⑤八幡宮2


 このような石畳の登山道を上ること10分前後、山頂付近に到着します。

⑤八幡宮3


 ここは両児山の山頂にある八浜八幡宮です。

⑤八幡宮4


 こちらが本殿です。幸吉は岡山城下・京橋で飛ぶ前に、この八浜八幡宮においてテスト飛行を何度も行いました。それは失敗の連続だったようですが試行錯誤の上、とうとう人間用の翼を完成させたのです。

⑤八幡宮5


 こちらは八浜八幡宮の左隣にある「快神社(こころよしじんじゃ)」です。子授けの神様として知られているようです。

⑤八幡宮6


 こちらは八浜八幡宮の右隣「御崎神社(みさきじんじゃ)」。これら三社がある山頂までは、ふもとの町から265段の石段でつながっているそうです。ふもとからの所要時間は約10分前後で、登山道は木陰が続いているので、真夏のカラッと晴れた昼下がりなどは、ここまで散歩すると気持ちがよいのではないかと思います。

⑤八幡宮8


7.八浜城跡
 
 八幡宮と同じく両児山にある八浜城は、宇喜多家による児島支配のために築城された城で、城主は宇喜多与太郎基家(当主・宇喜多直家の甥)で「八浜合戦」の際は宇喜多側本陣となりました。合戦当時は毛利×織田の攻防戦の最前線であり、両軍とも一歩も引けない状況の中で結果は痛み分けに終わったようです。しかし、この激戦の最中、城主基家が18歳の若さで命を落とします。

⑥八浜城


 八浜城の一角はきれいな公園として整備されていました。

⑥八浜城2


8.宗蔵寺

 ここは天正5年(1577)建立の臨済宗「宗蔵寺(しゅうぞうじ)」。です。立派な石段を登ると、

⑨宗蔵寺4


 本殿がありました。

⑨宗蔵寺3


 また、境内は整備が行き届いており、まるで庭園のよう・・。

⑨宗蔵寺2


 建物などもセンスが良く美しい寺院でした。

⑨宗蔵寺


 この旅の続きはこちら → 「鳥人幸吉のふる里探訪ポタリング (3)
(この旅をはじめから表示する場合はこちら → はじめから表示

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(1)鳥人幸吉のふる里探訪ポタリング~八浜(岡山県玉野市)~

2012ポタリングシリーズ(ファーストステージ⑤)
(1)鳥人幸吉のふる里探訪ポタリング ~八浜(はちはま)(岡山県玉野市) ~ 


 今回は、以前「岡山の偉人」として取り上げた「表具師幸吉(ひょうぐしこうきち)」のふるさと、玉野市八浜までのポタリングを楽しんできました
幸吉についての記事はこちら → 表具師幸吉」)


1.スタート(岡山市・京橋)

 今回のスタートは、幸吉が大空を飛んだといわれる場所「京橋(きょうばし)」です。

①京橋界隈4


 岡山市北区にある京橋は、かつて藩政時代には岡山城下の東の表玄関だったようです。

①京橋界隈.8jpg
  
 前の写真で橋上を通っている東行きの路面電車は、「京橋」のあと「中橋(なかばし)」、「小橋(こばし)」と次々に3連の橋を渡って、終点「東山」を目指します。(写真は右(西側)から「京橋」→「中橋」→「小橋」で、右へ行くと「岡山駅方面」、左は「東山方面」)

①京橋界隈


 京橋界隈には昔の面影が数多く残っています。これは大正時代につくられた「火の見櫓」です。

①京橋界隈3


 こちらは、明治38年に通水した京橋水道橋で、「近代化遺産」に指定されています。

①京橋界隈6


 また、京橋自体も大正6年に建て替えられたものであり、これらが相まって界隈の下町情緒を印象づけているといえます。
 以下の写真は、その建て替えより以前、江戸時代に架けられていた木製「京橋」の部材だそうです。現在の橋を補修する際に川床から発見されました。

①京橋界隈2


 しかし、岡山で京橋といえば、やはり朝市です。毎月第一日曜日には、多くの人出で賑わいます。

①京橋界隈7


 これは岡山市出身の「住宅顕信(すみたくけんしん)」の石碑です、彼は以前取り上げた「尾崎放哉(おざきほうさい)」と同じく自由律の俳人で白血病により25歳でなくなりますが、魂のこもった281句を残しています。

※自由律の俳句・・・五・七・五にこだわらず、季語も含めない俳句の様式
①京橋界隈10


 こちらは「岡山県里程元標(おかやまけんりていげんぴょう)」です。岡山県の里程起点を示すため、明治時代に京橋西詰に設置されたものだそうで、当時の陸上交通に多大なる役割を果たした歴史的資料として、復元保存されているようです。
 これらを見ると、京橋界隈は昔より交通の要衝として繁栄していたことがうかがえます。

①京橋界隈9

 面白いのがこの「迷子しるべ」です。
これは明治25年に市役所が建てたものを、復元設置したようです。
ネットによると石には「たつぬる方」「志らする方」と書かれており、その上に空けられた穴に市民がメモを入れて、尋ね人の情報交換ができるようになっていたとのことでした。
いずれにしても、市民同士の助け合い精神に立脚したシステムであったようです。

迷子しるべ

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2.児島湾干拓地

 市街地をひたすら南へむかっていると、「広域農道」の看板が見えてきました。

②広域農道3


 ここからは広域農道として整備されているようです。農道沿いにはこのような遊歩道が並行して続いていたので、こちらを走ることに・・。

②広域農道4


 このような樹木のゲートもありました。

 ②広域農道5


 さらに、南下を続けていくと、辺りには広大な農業地帯が広がってきました。この農地は、おもに江戸時代からはじまった海の干拓によって造成された農業用地です。

②広域農道8


 そして、道は果てしなく続く直線道路に・・。

②広域農道11


 田園地帯には、これまた果てしなく長い直線的な水路が何本も通っています。

②広域農道12


 そして、直線道路が交じりあう交差点では、ひとつ目の点滅信号が交通整理をしていました。

②広域農道10


 さすが農道、当たり前ですが農耕車優先です!!

②広域農道.6jpg


 今の時期は大麦の栽培を行っている農家が多いようです。黄金色に見える農地は立派に実った大麦畑で、刈り取りの時期をむかえているようでした。(ネットでしらべたところ、ビールの原料になる二条大麦を栽培しているようです。)

干拓地


 広域農道を走っていると、面白いものを見つけてしまいました・・。
付近の小学生が作った交通標語のようですが、「無視しちゃダメダメ」っていうフレーズが、なかなかおちゃめです。

②広域農道1.7jpg


 そしてもう一つがこれ。
がんばれ親父!!
 ちなみに、後ろにみえる陸橋の名前は「おもいで陸橋」、感傷的です・・。

②広域農道13


 さて、この広域農道は別名「千両街道(せんりょうかいどう)」といいます。

②広域農道9


 農道が通る岡山市南部の干拓地では、「千両なす」の栽培がさかんに行われています。それは、この地の土質や気候がなすの栽培にマッチしているためで、全国でもトップクラスの品質を誇っています。街道は、その「千両なす」から名前を取っているのです。
 ガードレールには、かわいい千両なすのマークがついています!!

②広域農道15


 さて、ずいぶん南へと下ってきました。干拓地のみずがめ児島湖に注ぐ鴨川を越えると、玉野市・八浜に突入です。

 ②広域農道14


 さあ、この町で鳥人・幸吉に出逢うことができるのか??

 この旅の続きはこちら → 「鳥人幸吉のふる里探訪ポタリング(2)

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ポタ麿ブログへようこそ
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らに今さらながらにようと心に決め

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てサイクリストが、日本全国を独自

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ついてもつぶやいていきます。

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